by axxxm
5/September/2025 in Kraków
先日とても魅力的な女性に会った。あれほど女性に魅了されるのは長いこと絶えてなかった。
彼女と話していると、なぜか何度も腕に目が行ってしまう。袖のないドレスから伸びる腕。肩から指先までのすべてが外界に晒された腕。私たちはバーのテラス席にいて、薄明かりの中で彼女の腕は妙に輝いていた。
その腕は確かに美しかった。細くしなやかで、衰えは見えない。しかしそれだけなら、ここまで惹きつけられることもなかろう。彼女と話をしながら考えていると、あることに気がついた。その腕にはタトゥーがひとつも見当たらないのだ。
タトゥーのないことが魅力の源泉であると分かったとき、謎が解けた喜びよりも、一瞬なにか倒錯的な気分に襲われた。人間の単なる腕、タトゥーのない自然な腕が珍しく美しく見えてしまうほど、この国で私はタトゥーの入った腕ばかりに囲まれており、私自身知らぬ間にそんな環境にズブズブと沈んでいることを思い知らされたからだ。
現代人は「まっさらな状態」、「何もないこと」に耐えられなくなっているのではなかろうか。白地を白地のままに、空白を空白のままにしておくのではなく、ゴタゴタと塗りたくる衝動に絶えず襲われているのではなかろうか。
私の身体にタトゥーはひとつもないが、腕輪やネックレスといったアクセサリーは毎日つけている。そしてそれらをつけ忘れて外に出てしまうと、何かが欠けているような感覚に襲われる。装飾品で身を守っていないと不安なのだ。からっぽ、空虚、無。このような不安こそ、タトゥーを入れる動機のひとつなのではなかろうか。
彼女の腕から目を滑らせる。ブレスレットもネックレスもない。耳は髪で隠れていたが、おそらくイヤリングもないことは確かだった。爪に目を向ける。そこにはマニキュアもネイルアートもないが、爪はやや伸ばしてあって、先端は整えてある。細かな注意は払われてあるのだ。彼女の「無装飾」は意図的なものであった。
彼女の腕は、人間の身体はそのままで十分美しいことを示していた。彼女は飾り立てる不安に襲われない人なのであろう。空白とは必ずしも「欠乏」ではなく、中身の詰まった充実した空白もあり得ることを知っている人なのであろう。
私は、腕がこれほど雄弁にその人物の内面も語り得ることに驚いている。