視線

6/August/2025 in Kraków

*English ver

girl-with-chrysanthemums

昨日、クラクフの国立美術館に行くと、6月には飾られていなかった『Girl with Chrysanthemums(菊を抱く少女)』があった。京都でのポーランド絵画展に貸出されていたものが戻ってきていたのだ。

絵を前にして、彼女の旅した極東までの長い旅路とともに、一体どれだけの数の人間たちから彼女は見られてきたのかを考える。ここクラクフではポーランド人から、京都では日本人から、そして今は私から。どれだけの視線を浴び続けてきたのだろうか。そのくせ、それらの視線は彼女にひとつも衰えをもたらさない。光も空気も温度も、彼女の姿を変質させるというのに、ただ視線だけは、それがどれだけ熱烈で、どれだけ膨大でも、彼女を疲れさせない。私たちは他人の視線を背中であっても感じ、そして多数の視線を受けることには疲れを覚えるというのに。

視線のエネルギーは実に奇妙だ。命の無いものには何の力も持たず、唯一生きている存在にだけ影響を与える。