観察される恐怖

27/August/2025 in Kraków

*English ver

hand-Koszyczek-Babuni

クラクフの現代美術館(MOCAK)にて、「Koszyczek Babuni(by Martyna Borowiecka/2023)」という油絵を見る。

中央から垂れて描かれている女の手が魅力的だった。とてもリアルだった。しかしこの「リアル」は、「本物の女性の手と見間違いそう」という意味ではない。この手を見たときに感じた実感が、魅力的な女性の手を現実に見たときと同じだったのだ。つまり、ここには「手の実態」がしっかり描かれているということであろう。手の魅力の核心が描かれているのだ。


しばし見惚れてしまうと同時に、「絵描き」というのは恐ろしい人種だと思う。あまりお目にかかりたくはないものだと思う。
絵描きはここまで観察しているのだ。非常に細かく、正確に観察しているからこそ、「手の実態」を認識でき、しかもこうやって描くことができたのだ。絵描きを前にしたら、自分の一体何が、どこまで細かく観察されているか分かったものじゃない。


「物書き」にも同じことが言える。彼らも「観察」を主業としている。とはいえ、物書きの観察にある不気味なものを感じる心理は一般的だろう。

物書きが主に見ようとしているのは内面、つまり心理である。一方絵描きは。徹底的に造形、見た目、外面だ。外面をくまなく見られることも、内面を見られることと同じくらい不気味である。