「書く」と「描く」

2/November/2025 in Kraków

*English ver

絵はVisual mediaなので、目から入って、直ちに感情に到達する。一方、文章は、目から入っても理性の処理のプロセスが挟まる。decode、つまり暗号解析の処理である。その後、感情に作用する。

信号機は、「赤」に危険を感じる働きを使うことで、思考のプロセスを挟むことなく、直ちに、しかも誰にでもその意図を伝えているのである。

自分が「書く」という表現にもっとも馴染んだことの背景には、感情に到達する前に一拍挟まるこのプロセスが、感情を守る防御壁のように感じたこともあるのかもしれない。

しかしこの点で言うと、音楽は絵よりもダイレクトに感情に作用するように見える(三島由紀夫も「音楽は恐ろしい」と、どこかで書いていた)。しかも音は完全に遮断できない。絵も文章も目を閉じれば完全にその影響を逃れることができるが、耳は手をつかわないと塞げず、しかしそれでも100パーセントは遮断できない。音楽は感情に対する侵襲力が高い。


さて、先ほど「decode(解析)」という言葉を使ったときに気がついたが、文章表現には必ずこの処理が挟まる。時間がかかるのである。しかし時間がかかるからこそ、感情に深く入り込んでくる。

得てして絵は、「目が滑る」「心の表面で滑って」しまう。一方、文章は、こちらのEngagementを必ず要求し、そこには必ず時間がかかる。そして時間をかけた分、より深く入る。浸潤性が高いのは文章表現と言えるだろう。