安倍元総理大臣と私 その2

28/July/2022

死去の後、私は日本語だけでなく英語のニュースもよく見ていた。その扱いの大きさと規模は、日本という国、あるいは安倍晋三という人物が、世界からどのように見られていたのかを如実に示しているようだった。私がその時いたセルビアでも、死去の報があった夜には幾人かのセルビア人からこの事件について聞かれ、事件翌日の新聞の一面には写真入りの記事も出ていた。

国のトップとは、すなわちその国を代表する人物であることを意味する。しかしこれは総理大臣や大統領といった、いわばオフィシャルな地位にある人だけがその国を代表していることを意味しない。海外に行って、あるいは日本国内であっても、異国の人を前に立つときには日本人一人一人が「日本を代表する者」となる。これをどの程度意識するかは人それぞれだが、海外に住んで、自分と母国の関係、あるいは自分の国籍といったことをまったく考えない人はいないであろう。

私もかつては「日本人として云々」といったことや「この人(外国人)にとっては自分が『日本の代表』である」といったことをやや過剰に考えていた。海外生活が長くなるにつれて、そういう「りきみ」は弱くなり、むしろ「日本人はシャイ」とか「日本人は従順」とかいったステレオタイプに反発する気持ちで、「日本人らしくない」ように振るまうこともあった。今でも、異国の人からかけられた「あなたは日本人らしい」という言葉を、肯定的な賛辞としては受け取れない時がある。それでも海外、特に旧共産圏などの日本人の少ない、そしてその外見から日常の至るところで人目を集めてしまう環境にいると、「見られ方」には気を使わざるを得ない。「日本」や「日本人」といったもののイメージの責任を負っていると感じるのは自然である。

二〇二〇年八月、安倍晋三が辞意表明をした際、あるアメリカのニュースキャスターが東京にいる特派員に「Is Abe such a charismatic person?」と問い、「Abe is likable rather than charismatic」と特派員が答える場面があった。「likable」という言葉は、実に安倍晋三にふさわしい形容詞のように思えた。

安倍晋三が外国首脳と会う時、いつも暖かい笑みを浮かべて握手をしているのを何度も目にしていた。握手のあとの会談では、笑みばかり浮かべていることはできなかったであろうが、それでも一番最初には愛想よく友好的な態度で接しているのが私の印象に残っていたからである。

安倍晋三の死去後、私はしばし、外国に住んで日本のなにかを代表している者のひとりとして、自分自身の振るまいと生前の安倍晋三のそれを重ね合わせて考えることがある。そして私と彼との共通点に思いを馳せてみることがある。