去った場所にはもう戻れない

3/August/2023

アムステルダムに住んでいた2016年秋に、ロンドンを訪ねたときの記憶

アムステルダムに来て一年が経ったころ、ロンドンへ四日ほど旅行した。

ロンドンは私にとって初めての外国であり、二年半住んだ街であり、そしてロンドンから去らざるを得なくなって以降の東京の生活で、ひたすら戻ることを夢見ていた場所だった。

東京に九ヶ月いたあと、結局私はロンドンに戻るのではなくアムステルダムへ向かったが、その選択が実は正しかったのだと深く理解させられたのが、このロンドン訪問だった。

ロンドン北部の空港から市街へ向かうバス。晩秋の朝、濃い霧にかすむ太陽。空席の多いバスの車内、窓際の席にすわる私は緊張していた。念願だったこの街へと戻って来た自分がなにを思うのか、果たしてあの時より自分は進歩しているのか、あの時より自分は幸せになっているのか……。こういったことの答えがついに明らかになると考えていたのである。

しかしロンドン中心部に着いて襲ってきたのは、まったく別の感情だった。

周りを見渡せばなじみのある景色が広がっており、それは二年前のロンドン留学時代の私が生きていた空間である。街の看板も電車のアナウンスも英語なので、自分には理解できないオランダ語があふれているアムステルダムとは違って、ほぼすべてを理解できる。それは確かに快適な感覚を運んできた。

しかしこういった外から数えられる条件とはまったく折り合わない私の内部では、大きな隔絶の感覚があった。この街を去ってからアムステルダムに行くまで、いやアムステルダムに住み始めて以降もしばし、私にとって「初めての外国」であったこのロンドンを思いだしていた。繰り返される回想のなかで記憶は実際以上に美化され、もはや現実ではあがなえないほどの高みにまで達していたのである。そういった過剰な期待をもってロンドンを訪れた分、目の前の現実との隔絶ばかりが強調されていた。

記憶は美化されてゆく一方、私の人生も前に進んでおり、それは私自身をも変えていた。進んだ距離を引き戻すこと、つまり過去にもどることはもっとも望んでいなかった。

もう戻れない。なにより、もう戻りたくない。

ロンドンを去って以降あんなにも切望していたのに、その気持ちを満たしてくれるものはもはや存在していなかった。ロンドンにも、そして自分の中にも。