推敲前後の文章の比較

30/July/2022 in Belgrade

ここ数ヶ月、私の本の推敲作業を長々としてきた。推敲作業、あるいは編集作業において、誤字脱字を直したり、不自然な表現を改めるというのは初歩的なところで、肝心要でそして面白いのは文章を練り上げていくステップだ。

私の場合、最初の下書きの段階では余計な言葉や表現が多いので、それを削っていくことになる。なので文章が短くなると、うまく推敲の進んでいる感覚がある。

一方で、効果を強めることを狙って表現を加えることもある。

以下、下書きと推敲後の文章の例を3つ挙げる。


(例1)下書き

海外に長く住んでいて困るのは、「日本」や「日本人」といったものに、ある複雑な感情を抱くようになることだ。日本に住んでいる普通の日本人がこのようなことを意識することは普通ない。国籍や人種といったものをすべて無意識の事柄である。母国に住むとはそういうことである。しかし外国に住むとは、そしてヨーロッパという日本からは地理的に遠く離れた場所に住むとは、それらのことを客観視して、四六時中意識することを意味する。


(例1)推敲後

海外に長く住んで困るのは、「日本」や「日本人」といったものにある複雑な感情を抱くようになることだ。
日本に住んでいる人が「私は日本人だ」と意識することは、普通ない。国籍や人種といったものはすべて無意識の事柄であり、母国に住むとはそういうことである。しかし外国に住むとは、そしてヨーロッパという日本から地理的文化的人種的に遠く離れた場所に住むとは、それらのことを客観視させられること、いわば四六時中意識させられることを意味する。


(例2)下書き

外国に住んで国籍や文化といった自分の「日本人性」を意識してしまうのは、日常生活で「日本人でない人たち」に囲まれているからである。そして彼らから向けられる視線も、必ず最初は「日本人」というところに向かってくるからである。私たちの名前が忘れられても、日本人であることは覚えられていても不思議ではないのである。どんなに日本人を嫌悪して、日本人でないように振る舞っても、相手から向けられる視線の入り口は必ず「日本」になってくる。

そうなると、外国生活の中で感じる周囲との摩擦の原因はすべて自分の「日本人性」にあると考えてしまうのも、こういった原因である。「私は日本人だから、周りに気を遣ってしまって言いたいことが言えなかった」「日本人として礼儀正しく振る舞わないと」などという不満が、すべて自分の日本人性に由来するように思え、そこに対する嫌悪は深まるのである。


(例2)推敲後

外国に住んで、国籍や文化や人種といった自分の「日本人性」を意識してしまうのは、日常生活で「日本人ではない人たち」に囲まれているからである。そして彼らから私に向けられる視線も、必ず最初は「日本人」というところにぶつかる。私の名前が忘れられても、日本人であることはいつまでも覚えられていて不思議ではない。どんなに日本人を嫌悪して、日本人ではないように振る舞っても、私の頭上には「日本人」という看板がいつもかかっており、彼らはまずそれを確認して頭に刻み込んでから、おずおずと視線を下げ、私の顔を見て、ようやく私の名前を聞いてくる。そして私はこの看板を自分の意志で取り除くことはできない。

異国人とのやりとりには必ずこのような構造が控えていることに気がついてしまうと、外国生活の中で感じる周囲との摩擦の原因が、すべて自分の「日本人性」にあると考えてしまうようになるのも自然である。「私は日本人だから、周りに気を遣ってしまって言いたいことがいえなかった」「日本人として礼儀正しく振る舞って損をした」などという不満が、すべて自分の日本人性に由来するように思えてきて、そこに嫌悪が溜まっていく。


(例3)下書き

私は二年三ヶ月に及んだロンドン生活を終えた日本に帰国した後、長い間カウンターカルチャショックに苦しんだ。外国に行って感じる周囲との摩擦が通常のカルチャーショックであるのに対し、外国生活に一定期間滞在して帰国すると、外国の生活に慣れてしまった分、母国の生活で摩擦を感じるのがカウンターカルチャーショックである。

私は日本に九ヶ月間いて、アムステルダムに移ることを決めたのだが、最後までカウンターカルチャーショックが和らぐことはなかった。今でも外国から日本に戻るたび、抑え切れないほどの嫌悪を覚える。特に日本人という連中の精神の低俗さ、外見の醜さは並外れであり、この国で美しいのはただ自然だけだと思う。しかしそれでも私は外国に永住することはできないと考えている。外国にいても日本人であることを直視させられ、日本にいても日本人であることを考えさせられる。

私はかつてロンドンに行く前の、自分が日本人であると意識する必要のなかった、あの周囲と完全に溶け込んでいた時を幸せな時代であったと考えるが、しかし今のように、あらゆるものから距離を置いていきるアウトサイダーの人生こそ、実は私にふさわしいものだと思うのである。


(例3)推敲後

計二年三ヶ月に及んだロンドン生活を終えた日本に帰国したあと、私はカウンターカルチャーショックに長い間苦しめられた。外国に行って感じる周囲との摩擦が通常のカルチャーショックであるのに対し、外国に一定期間滞在して帰国すると、外国の生活に慣れてしまった分、今度は母国の生活で摩擦を感じてしまう。これが「カウンターカルチャーショック」である。

ロンドンから帰国後、私は九ヶ月間日本にいてアムステルダムへ移ることを決めたのだが、最後までこのカウンターカルチャーショックが和らぐことはなかった。今でも外国から日本に戻るたび、この国の住民は秩序や外面の綺麗さ、整理整頓といったことこだわりすぎていて、なにか生々しいものが欠けているように感じる。生々しいもの・・・、それは一言でいえば「魅力」というものだった。

この国で美しいと思えるのは、ここに住んでいる人々ではなく、ただ自然の風物だけであると考えることも少なくない。しかしそれでも、私が外国に永住することはできないという確信もある。外国にいても日本にいても、自分が日本人であることを意識させられる。どこにいても「日本」というものから逃れることができないならば、日本人の私にとって一番摩擦の少ない場所は日本となる。

かつてロンドンに行く前の、自分が日本人であると意識する必要のなかった、あの周囲と完全に溶け込んでいたころを幸せな時代であったと時折り思い返すが、しかし今のように、あらゆるものから距離を置いて生きるアウトサイダーの人生こそ、実は私にもっともふさわしいものだとも思うのである。