写真にうつる顔を隠す異様さ

13/May/2023 in Tokyo

日本のYouTube動画やSNSの写真を最初に気づくのは、背景に映る人や同じ写真に映っている人の顔がモザイクで消されていることだ。

これ見るたび、なにか異様な感じを覚えるのは私だけだろうか。

この背後にあるものが、日本人の身バレ恐怖症のためか、プライバシー意識か、「配慮」と呼ばれるものなのかは知らないが、どれであれとにかく「日本人は過剰である」「日本人の過剰は病的である」という私がいつも思うことをここでも再び感じてしまう。

例えば母親が我が子と自分の映った写真の写真をSNSにアップしているシーンを考える。

ほぼ十中八九、子供の顔にはモザイクなり絵文字なりが被せられているだろう。

そしてもし背景などに他の子供や親などがいたらそこも隠されており、そうなると画面の5割以上はモザイクなり絵文字なりで埋まることになる。

こういう写真を見て、子供のプライバシーを守るためだとか、犯罪に巻き込まれないためだとか考える人は、そもそも私とは感性が違うのだろう。

私はこういう写真を見るたび不気味さを覚える。

まずこの母親が写真に映り込んでいる顔すべてに、せっせとモザイクをかけている光景が不気味だと思う。

そして次に、半分以上不自然なモザイクや絵文字で埋まった写真を公にするという、その一連の流れになにも不自然さを覚えない感覚が不気味だと思う。

そして最後に、映り込んでいる人間の顔をすべて隠してまで公にしたいその自己顕示欲が不気味だと思う。

そもそもこういった写真をシェアする人がもっとも伝えたいのは、自分が子供と楽しい時間を過ごしているということであろう。

その「楽しい時間」を具体的に表すものの中で、人の表情が占める割合は高い。おそらく最大のものである。

ディズニーランドを背景に沈んだ顔の人が写っていたら、その写真から伝わってくるのはネガティブなものとなる。

人の表情、つまり「顔」というものをすべて隠すことは、その写真でもっとも伝えたい「楽しい」という感情をも隠すことを意味し、逆に顔を塗りつぶしていくその作業の不気味さを際立たせるのである。