差異に目を奪われる

11/December/2023 in Tokyo

*English ver

ヨーロッパで生活して現地の人々の顔を毎日見ていると、そこにはあるパターンが見え始める

顔の作りのベースの部分を共有している人たち、つまり「よく似た顔」を見かけるのである

そしてそれはおそらく、自分のような遠くの国から来た外国人にしか見えないと思われるもので、現地の人には認識できないものであろう。


「黒人の顔はみな同じに見える」とか「アジア人の顔はみな同じに見える」とかいったりするが、これは顔に対する認識が荒らすぎて、ひとつひとつの顔の差異が見えないことに由来する。

しかしその環境に身を置いてしばらく経つと、(当たり前だが)一人一人の顔が違うことがわかってくる。

そしてこの時がおそらく唯一、冒頭に書いた顔の作りのパターンを認識できる段階である。

これよりもさらに時間が経って、現地の人と同じくらいその環境に身を置くと、個々の顔にある微妙な差異が見えるようになってくるが、同時にその細かな差異に目を奪われて、鳥瞰図のような大きな視点で認識することができなくなる。

つまり私のような部外者は、認識がやや大雑把である故に共通する要素を見つけやすいが、現地の人は個々の差異に敏感なため、共通する要素で対象をくくることが難しくなってくるのである。


こう考えてくると、日本にやってきた外国人旅行者に自分がどう見られているのかと不思議に感じ始める。

「私の顔は唯一無二で、似た者はいない」と私は厚かましく思っているが、その実外国人旅行者の彼らには「あ、似た顔を昨日見たな」と思われているのかもしれない。