自分の美しさを知らない薔薇

28/July/2020 in Warsaw

生命力に満ち溢れた百合について書いて思い出したのは、この百合とは真逆の姿を示していた、昨年の初春に買った一本のバラのことである。

そのバラは弱々しかった。

真っ直ぐな茎についた葉の多くは、自らの重みで垂れ下がっており、さらにその多くはひなびたり、葉先が茶色に変色したりしており、痛みのはげしい葉を私が取り除いたことも、バラの姿をより寒々しく見せた。


花弁の色は、赤でも黄でもなく、ピンクに縁取られた白色。

弱々しい姿と合わせて、この中途半端な花弁の色模様も、まるでクラスで除け者にされて自信を失っているいじめられっ子のようにこの花を見せて、私に哀れみを覚えさせた。

なぜ私はこんなバラを選んで、買ってしまったのだろうか。

今になって振り返ると、このようなバラを選んだこと自体に何らかの私自身あずかりしらない私の深層心理が反映されていると確信を持って思う。


さて、私はこのバラを人に差し上げる前に、大きな白く薄い紙で包んだのだが、その広げられた紙の上にこのバラを置いた時の光景を、今も私は忘れることができない。

紙の上にバラを置いた刹那、私は一瞬息をのんだ。

花瓶から抜かれて寄り辺を失った心もとなさが、そのバラの体全体から伝わってきたからだ。

まるで何かの禁忌を犯しているような、強烈な感覚が襲ってきた。

紙の上のバラはあまりにも剥き出しで、裸であった。

純粋で、無防備で、抵抗のすべを知らないものの神聖を犯す行為......、それをまさに今から始めようとしている自分を発見し、私は戦慄した。

私はまるで、白いシーツの上で麻酔で眠らされた幼い子供の身体を、今から弄ぶように切り開く医者になったような感覚であったが、その緊張の中で、不思議な甘い陶酔が私の胸の内にじわじわと広がるのを確かに感じた。


白い紙で包んでしまうと、その陶酔が霧散してしまう危惧を覚えたが、私はそれ以上禁忌を犯している感覚に耐え切れず、ゆっくりと、しかし確かに紙で包み込み、そのいじめられっ子のバラは私の視界から消え去った。

そしてバラは人手に渡り、自分の美しさを知らず、自分の美しさを信じられなかったバラは、私の手を離れた。