ユーゴスラビア博物館

12/June/2022 in Belgrade

座席がすりきれて破れ、中の薄汚れた黄色のスポンジがいたるところで露出していた。

これまでにベオグレードで乗ったなかで一番古いバス四一番がつく。

下りたのは私だけ。

ユーゴスラビア博物館までなだらかな坂道が、バス停の後ろに伸びている。

坂道の両側には林があって、緑の葉が陽にさえている。

夏の晴れ日で、日陰にも入っていないが不快な暑さはなく、林から吹く風が気持ちいい。

聞こえてくるのは車の通りすぎる音と、葉の梵だけで、あたりはとおく郊外に来たような穏やかさを感じる。

林からセミの声のようなものまで聞こえてくる。


バス停から見えた、坂上に建つ博物館の正面に描かれた絵は、遠目には古代人がたき火をしている様子を描いたもののように見える。

しかし近づいていくと、左側には三人の銃を構えた男、右側には腕をあげて無抵抗の意を示しているような男たちの男たちの絵だった。

この二者の間には、折れた薪のようなものが描かれていること、そしてすべてが平面的に描かれ、しかも全体的に色がかすれているから、やはりどこかの洞窟にある、古代人の生活を捉えた壁画に見える。

この建物の前は広場になっており、高台からの眺望が広がっている。

登ってきた坂道を振り返る。

サバ教会が見えるかと思ったが、右側の木々に遮られて、その姿はない。


「ユーゴスラビア博物館」と調べたら出てくる、この古代人の壁画の建物は工事中で、展示物はそこからさらに坂を登ったHouse of Flowersというところにある。

House of Flowersに続く坂道の左側には松の木がいくつか見える。

カルメグダン公演でも松の木を見たが、この木はいつも日本を思い出させる。

祖父母の家に小さな松の木があって、子供の頃にその棒状の葉を二本クロスさせて遊んことがあった。

祖父母の家からいける海岸にはどこも松林があって、ある時、祖母とそのひとつの中を通りかかった時、層状で乾いた松の木の皮を手に取りながら、祖母が子供の頃にはこれをパズルのようにして遊んだと教えてくれた。


私はこのユーゴスラビア博物館に、ユーゴスラビア時代の理解を深められるという期待を持って来たのだが、展示物ははなはだ貧弱だった。

古代人が描かれた正面の建物が改装中の今、ここを訪問時の中心部となるHouse of Flowersは、電子ゲートを通り抜けると、白い大理石の床がまっすぐに伸びている。

両脇には、赤い、大きなカーテンが重くかかっていて、一見なにかのステージのようにも見える。

両側にの花壇にはさまれた短い大理石の通りを進むと、巨大な四角形の大理石の塊が置かれている。

表面には金色の文字で「Josip BROZ TITO 1892 - 1980」と打ち付けられていて。これがユーゴスラビアの伝説的指導者チトーの眠る霊廟であるとわかる。

この両側には、チトーの死にユーゴスラビア、および世界の人がどのように反応したのかということや、死後のことなどが写真を主にすえて展示されているが、内容は薄く、特にHouse of Flowersを入って左側の展示物は、何も記憶に残らない。

チトーの葬儀にどれだけ多くの国が使者を送ったかを示す展示には、使者を送った国ではなく、使者を送らなかった国の名前がやり玉にあげられるように描かれており、この博物館の基本的方針が伺える。

展示物のいくつかは、普通のクリップで吊るされているが、このチープさに嫌気は覚えない。

チトーが亡くなった直後、死を悼む人々の列を捉えた写真には、このHouse of Flowersが今と同じ姿で写っていた。

後に知ったが、このHouse of Flowersはチトーのために一九七五年に建てられたものだという。

建設から五〇年近くが経とうとしており、建物は古いはずだが、白色を基調とした内部には、どこか瀟洒な雰囲気がある。

外の噴水の音と鳥の囀りだけが響いてくることもその雰囲気を高める。

緑の星をかたどったデザインのタイルが敷かれた床、白い大理石、金色の文字、ガラス張りになった天井から差し込む光、窓枠がおとす影・・・、どれも調和と節度を持っていて、美しく見える。


House of Flowersの横、縦長の建物は、Museum Laboratoryと銘打って、ユーゴスラビア時代の様々な物を展示しているが、いくつかの家から古い品々をかき集めて並べたような印象を受ける。

House of Flowersだけでは四〇〇ディナールの入場料に見合わないことを知って、水増しするためだけに取ってつけたような印象である。


ユーゴスラビア博部館のよこにはクエンがあって、ハイドパークと名付けられていた。

この街には「ジョージ・ワシントン」「ジョン・エフ・ケネディ」という名のバス停があったり、「ロンドン」という名の地区があったりと、著名な人物や他国の場所の名をかりたところが多くある。

この「ハイドパーク」は、林に包まれた、静かすぎる場所だった。

遊具でトレーニングをしている若い男や、ベンチに腰掛けてキスをしている若い男女の姿が言えたが、音はなにも聞こえてこず、静寂に支配されている場所だった。

その静寂を破るのは鳥と虫の鳴き声だけ。

公園の中をさらに進むと、中心近くに大きな通りがあった。

両脇には一〇メートルほどの高い木が立ち並んでいるこの通りは、どこかかつて住んでいたロンドンの本物のハイドパークを思い起こさせた。

あのハイドパークにこんな通りがあったが記憶は定かではないのだが。

公園の大部分は樹木におおわれ、うっそうとしている。

ベオグラード中心部からは少し距離があるので、人の姿もあまりない。

先ほどの大通りを抜けて、バス停に向かう狭い小道を進んでいると、四人がけの椅子と机があって、中学生ぐらいの巻毛の男の子がそこで勉強をしていた。

私が前を通り時。彼に目をやると、この街のティーンエイジャーがいつもそうするように、彼はあわてて私から目をそむけた。