地方にある、誰も知らない美しい寒村のような

9/June/2022 in Belgrade

昨日、突然思い立って、ベルグラード郊外の町、ゼムンへ行く。

復路のバスは非常に混んでおり、通常であれば四〇分ほどで帰宅できるところ、一時間半ほどかかる。

「ゼムンはオーストリア=ハンガリー帝国の影響が色濃く、ベオグラードしないとはまったく別の景色のある街」と聞いていたが、その言に誤りはなかった。

市中心からサバ川を渡って二〇分ほどの場所にもかかわらず、小さな集落や村といった、一つのちいさくまとまった印象がある。

バス停からすぐ集落に入る。

通りに並ぶ建物のほとおんどは一階建てで、通りに面して大きな窓が並ぶ。

道路との境目にも、窓や換気口のようなものがあるのは、ほとんどの建物に地下があるからだろう。

電線が張ってあって、景観を汚しているのは日本のようだ。

集落に入ったところから見ると、道は右にゆるやかに曲がっており、青く澄んだ空を背景にHram Svetog Oca Nikolaja協会の塔が見える。

宗教建築の知識がない私の目にも、これがセルビアで支配的な生協のものではなく、西欧のカソリックのものであると一目でわかる。

最初、この塔が町を一望できるとガイドブックに書いてあったGardoš Towerかと思ったが、実際には通りから左に折れて、階段をしばらく登る必要があった。

Gardoš Towerまでの階段は整えられており、観光客が多く来ることがうかがえる。

建物の屋根だけでなく、地面インも赤レンガがしきつめられている。

階段を上に進むほど、丘の上部にある家ほど壁に赤やオレンジといった鮮やかな色が塗られており、これが後にGardoš Towerから見る街の景色をいっそう華やかなものにしているのである。

階段の途中でふりかえって写真をとっていると、視線を感じた。

階段を見上げると、階段の横の柵に足をかけて靴ひもを結んでいる女がこちらを見ていた。

ニコッと笑いかけられる。

年齢は四〇、五〇才くらいだろうか。背中に大きなバックパックを背負っている。

次はボスニアに行くというので、バスで行くつもりかと聞くと、「Pilgrimage(巡礼)をしている」という。おそらく徒歩で向かうのだろう。

町の眺めを背景に写真を撮ることを頼まれたので、数枚撮る。

スマートフォンを返しがてら出身を聞くと、ドイツだという。

言われてみればドイツ人、あるいは西欧の人に見える。

肌は焼けて、シワがたくさんあるのに、地にあるある輝きは失われていない。

ほほ笑んだ顔にある、ある種の屈託のなさは、西ヨーロッパ人として「正統派の人間」である自信に裏打ちされて、はじめて実るのである。

階段を登りきると、塔の前は小さな広場があった、そこからの眺めも十分見応えがある。

塔の左側には現代的な建物のレストランが、右側にはほったて小屋のような小さなカフェが見える。

二〇〇ディナールの入場料を払って、狭い階段を登り、塔の頂上へ。

頂上からは三六〇度の眺めがあり、そのどこを見ても丘はあるが山は見えない。

眼下にはオレンジ色の屋根の小さな建物が、所狭しと並んでいる。

ドナウ川の流れに沿って目を南東方向に向けると、サバ川との合流地点にある大きな中州の向こうにベオグラード中心部が見える。

雑然として、決して美しいとはいえない中心部の空気と、ぜムンはまったく別の場所である。

ここから二〇分ほどバスに乗ると、あの雑然とした、決して美しいとは言えない場所に行き着くとはにわかに信じがたい。

中州の手前、Novi Belgradeには、古く朽ちた、果たして今も人が住んでいるのか疑わしいビルが三棟あって、この塔からの遠景を汚している。

しかし目をそちらにやらないようにしながら、眼下のぜムンの景色だけに注目すれば、ここがベオグラードとは信じられず、チェコやオーストラリアの地方にある、中世の街並みがきれいに残された町にしか見えない。

ぜムンの景色は実に西ヨーロッパだった。

塔から下りて、ドナウ川沿いに向かう。

石だたみの道、白やクリーム色の壁、そこに照りつける夏の強すぎる光と、頭上に広く青く広がる青空・・・、そこはもはやセルビアと西ヨーロッパでもなく、南欧の海岸沿いの、小さな港町の雰囲気に満ちていた。

窓に取り付けられた、外びらきの遮光用の白い扉は大きく開けられており、深い赤色の花が飾られている。

ドナウ川沿いのゆるい坂道を下ってゆく。

川へ近づくほど、テラス席をもうけたアイスクリームやレストランが見えてくる。

ヘイズtらしく、どこも一人か二人しか客がいないのも、地方にある、誰も知らない美しい寒村のような雰囲気を盛り立てている。

川沿いには、予想に反して、レストランのテラス席がずらっと並んでいた。

ポーランドのバルト海沿岸尾リゾート地ソポト、あるいは海沿いのリゾート地のような趣。

改めてこんな瀟洒な場所が、中心部から二〇分ほどの、しかもこの混沌とした街ベオグラードにあることを、意外に思う。

しかし汚濁だけでなく、美すらもそのうちに含んだその振り幅の広さこそ、このベオグラードという町の魅力そのものなのかもしれない。

平日の四時過ぎらしく、川沿いのテラス席はたいして埋まっておらず、ウェイターが暇そうにおしゃべりに興じている。

来ている客のほとんどは中年のカップルで、一人だけ若い男かパソコンを開いて仕事のようなことおしているのが目立った。