by axxxm
9/May/2024 in Tokyo
「女性そのもの」を知ることはできない。
これは男である私の、逃れられない運命である。
「女性」自体を、ダイレクトに、直接的に知ることはできない。
「女性に近づく」「女性を知る」とは、正確には「女性との関係に近づく」「女性との関係を知る」になるのである。
対象が「a woman」ではなく、「a relationship with a woman」となってしまうのである。
そのため私が「男女関係とは、不安定で、移り変わりが早く、つかみどころがない」と考えているならば、これと同じ見方を私は女性自体に投影させていることになるだろう。
しかしこれは厳密ではない。
「関係」への参加者には、女性だけではなく、私も含まれているからである。
「関係」とは独立してあるものではなく、他者との間にだけ成り立つものだ。
私という存在が、その関係に及ぼしている影響を見逃すことはできない。
困難はここにある。
私が及ぼしている影響を、その関係性の内部において主体として関与している私が、正確に把握したり、もしくは除去したりすることはできないからである。
そのため「女性との関係」とは常に「女性と私との関係」となり、そして「女性と私との関係」=「女性」となってしまう。
つまり私は、「女性」というものへの理解ばかりか、それよりも純度の劣る「女性との関係」を理解することからもはじきだされているのである。
……これは単なる「自分自身を離れて対象を認識することはできない」という人生の真理の一例か。