芸術とロマンス

29/May/2024 in Tokyo

*English ver

芸術とロマンスはよく似ている。

どちらも「人生のエンターテイメント」に過ぎず、必須のものではないという点において。


芸術作品とはゼイタク品であることは論を俟たないであろう。

災害や戦争といった異常事態が起きて生存が脅かされたとき、誰が文学書や絵画やクラシック音楽などを求めるだろうか。

まずは生存を助けるもの、典型的には食料がもっとも優先される。

いかなる芸術作品も、泥にまみれた小さなにんじん一本以下の価値しかないのである。

芸術は、「生存」の状態が改善し、「生活」を進められる状態になってようやく求められる。

肉体的ニーズが満たされたあとにはじめて精神的充足がくる。

しかしこの時点においても、芸術は依然として「あってもなくてもいいもの」である。

現実に世の多くの人は、文学書を読まなくても、美術館に行かなくても、高尚な音楽を聞かなくても、それなりに楽しい生活を、いや芸術作品なんかにかまけている連中よりもはるかにシンプルで、そしてはるかに満ち足りた生活を送っているのだ。


芸術とは、確かに人生を豊かにしてくるものだが、必ずしもマストではない。

芸術とは、それよりも根源的なニーズが満たされたあとにはじめて求められる。

この2点を思うとき、これはそのままロマンスにも当てはまると気がつく。

たとえば仕事も住む場所もない人間にとって、ロマンスは高嶺の花どころか不要なものである。

そしてロマンスは、確かに人生を豊かにしてくれるし、「この世の真実」「人生の真実」といったものを私たちに示してくれることがある。芸術作品のように。

しかしだからといって、ロマンスが必須のものかといえばそうではなく、「人生における娯楽」という点では芸術と同じである。

そもそも「人生の真実」といったものも、大半の人には不要なものだ。そんなことを知らなくても、いやむしろ知らない方が、気ままで楽しい人生を送れるのだから。