by axxxm
15/September/2023 in Kraków
私の好きな日本の言葉はなんだろうと前から漠然と考えていたが、ひとつは「ねえ」だと昨日気がついた。
もうひとつは「あなた」。
―ねえ
この言葉の美しさは、英語と比較するとよくわかる。
「ねえ」は英語では「Hey」だが、ここには「ねえ」という語感の優しさ、柔らかさがまったくなく、荒々しさと粗雑さだけが目につく。
実に低俗な響きの言葉だと感じる。
「ねえ」という言葉に惹かれるようになったのは、私の好きな歌手の歌詞のためだろう。
『ねえ、明日が来なかったとしたら
ねえ、変わらず君のことを感じているよ』
『ねえ、何処へ行こう?
遠くへ あるだろうか?』
「ねえ」は人に呼びかける言葉。やさしく問いかける言葉。
相手が自分の存在を感じているという前提がある時にだけ使える麗しい言葉。
「Hey」のように、路上で乱暴に人を呼び止め、荒々しく相手の領域に割り込んでいく下品さ、下劣さとは対極にある言葉。
―あなた
この言葉を好きになったのは、今年のはじめ、回想録を書くためにアムステルダムに住んでいたころの日記を読み返しながら、「Renata(ルナタ)」という名の同僚について書いていた時だった。
私の耳で「ルナタ」と「あなた」がどこか似た音として響き、それ以来、Renataに関する美しい思い出が「あなた」という言葉に対する美しい印象へとつながっていった。
そしていつのまにか、「あなた」という言葉そのものの響きの美しさも身に染みるようになった。
「あなた」は、日本人の会話で普通は使わない言葉。
使ったとしたら、よそよそしさしか生まない言葉。
ある意味、禁句とも言えるのかもしれない。
「ねえ」は他の人からそう呼びかけられた経験が何度もあるので、耳に、記憶にその音が残っている。
それに対して「あなた」は実際の会話で耳にしたことがほとんどないため、「ANATA」という音は自分の中にしかない。
自分に向かって自分の口で出してみた音しか知らない。
自分の好きなように音を思い浮かべることのできる言葉。
私の想像の世界に全面的に依拠し、現実の干渉なしにその美しさを無限に高めていくことのできる言葉。