右翼であり同性愛者であること(Homosexuality 1)

3/June/2023 in Tokyo

*English ver

『三島由紀夫は右翼のナショナリストなのに、同時にゲイであるっていうのが面白いと思う』

数年前、ヨーロッパに住んでいるときに聞いた現地の男性の言葉である。

私には「ナショナリストかつ同性愛者」のなにが面白いのかいまいちわからなかった。

実際、長い間わからなかった。

それから時間が経って、西洋における右翼やナショナリストというのは「伝統主義者」であり、そこではかならず男女の異性愛がマストであり、その結果として同性愛者、特に男性同性愛者というのは特にひどく排除されていることを知るにつけて、彼のいったことの意味がようやくわかるようになった。

侍のあいだで男色(衆道)が普通であったように、日本文化の上では同性愛、特に男性の同性愛を特別視する傾向は弱い。

少なくとも排除まではしない下地がある。

男が女を演じる歌舞伎などを考えても、そもそも男女の意識の感覚が文化的に薄いとも思える。

そのため日本では、ナショナリストやら右翼やら保守派の男やらが同性愛に耽っていても、それが「伝統主義」の価値観に反しないばかりか、むしろ伝統に忠実に則っているようにすら見えなくもない。

三島由紀夫が右翼で保守派でナショナリストで、かつゲイであっても、そこに矛盾を感じたり意外だと思う日本人は少ないのでなかろうか。

少なくともそういう言説を耳にしたことはなく、私自身も疑問に感じたことはない。

ふりかえれば、冒頭のヨーロッパ人男性の発言の意味がわかるまでに私が数年要したことそれ自体に、日本とヨーロッパの間の同性愛に対する概念の違いが実に典型的に表れていると思うのである。