記憶とつながりの関係

14/February/2018 in Tokyo

ある人から予期していないメッセージが来た。

それを読みながら、誰かと良い時間を過ごしたという「記憶」と、今もその人と「関係が続いてる(=つながっている)」という2つの事柄の関連は何かと考える。

思うに、途切れずに続いているある人との「つながり」というのは、その人との美しい「記憶」を担保するものなのではないだろうか。

そして再現の可能性をほのめかすもの。


その人と「つながり」が切れていても、「記憶」はそれぞの心の中でもちろん残っていく。

「つながり」が消えても「記憶」は消去されない。

でもどこか悲しく思うのはなぜだろうか。

別の例でいうと、昔一緒に楽しい時間を過ごしたけれども今は疎遠になっている誰かを思い出した時、なぜ私たちはその人に連絡を取りたくなってくるのだろうか。

ここに隠されている密かな動機は何であろうか。

思うに、人は誰かと楽しい時間が過ごせた時、未来でまた再び同じような楽しい時間をその人と一緒なら過ごせるだろうと、無意識に期待してしまうのではないだろうか。

もしつながっていなかったら、楽しい時間を再び繰り返せる、再現できる可能性はゼロ。

でもつながっていれば、また再び会って、また再び楽しい時間を過ごせる可能性があるということ。

その可能性への期待こそが、疎遠になった人に連絡をしたくなる隠れた動機で、そして同時に、長く「つながり」が続いている関係から湧いてくる喜びの一つなのではなかろうか。