by axxxm
22/June/2023 in Tokyo
昨日は夏至だった。
日本で夏至を迎えるたび、妙な気がする。
妙な気がするだけならまだしも、この気持ちの核には少しの悲しみまである。
理由は次のようなものだろう。
ヨーロッパ、特に東欧とバルカンの夏は日本よりも早く来る。
5月の終わりにはすでに30度に達していることは普通で、感覚的には6月がもっとも暑いように思う。
一方で日本で5月といえば、近年は非常に暑い日もあるが、少なくとも「夏」の感覚は薄い。
6月は梅雨で、7月なかごろに梅雨明けしてようやく来るのが夏という感覚である。
そしてその夏は東欧やバルカンよりもはるかに暑く、そしてはるかに不快だ。これはもちろん湿気のためである。
つまり6月20日前後の夏至のとき、彼の地ではすでに夏真っ盛りであるが、日本ではまだ夏を迎えていない。
日が徐々に長くなっていくこと、それは光が増していくことである。
新年を迎えたあと、冬から春、春から夏へと季節が移っていく時間は、夏という開放の時間に向かうことと光の増していくことが軌を一にしているので、輝やかしい高みへと昇ってゆく感覚を運んでくる
その流れを変えるものが夏至であり、つまり夏至とは堕つることの始まりの日なのである。
このような日を、日本では夏がまだ始まっていないときに迎える。
日本で夏が来たとき……、おろしたての白シャツの端はすでに黒くなっており、満開の前に花の端は色褪せており、希望にはすでに絶望が差し込んでおり、生きようとしたときにはすでに死に侵されている。