空白の認識

2/April/2020 in Warsaw

私が現在住んでいる国では外出禁止令が出ており、今日ですでに3週間に垂んとする。

毎週この規制は厳しくなっており、今では、必需品購入以外の外出は禁止、散歩・野外での運動も禁止、野外では人と2メートルの距離を開けること等、どこかの国の軟禁刑といっても差し支えないくらいの厳しさである。

外出をしてスーパーへ行く、というごく基本的な日常の行為をするだけでも、何か禁忌を犯しているような感覚に襲われる時が来るとは、思いもしないことであった。

当然、会社の従業員も学校の生徒も、不要不急の場合を除き在宅で用を済ますよう命じられている。


私はもとより一つの企業の下で働いているわけではないが、いま在宅勤務という名の自宅待機を命じられた、企業で雇用されている無数の人たちは何を考えているのだろうか。

私は思うに、多くの人々は、自分が日々携わる仕事には人参一本の価値すらもないことにようやく気がついたのではなかろうか。


彼らは、このような状況に至ってようやく、自分の身を危険に晒しながら今もスーパーで働いている人々へ感謝の念を抱き始めた。

普段彼らはスーパーの仕事を「低級な仕事」として蔑み、他方で自分の「オフィスワーク」こそ「上級な仕事」として、そこに自尊心だとか誇りだとか自信だとか「世のため人のため」だとかの身勝手な、ガラクタな感情を抱いていたのである。

しかし一旦緊急事態になると、その「上級な仕事」は全てストップしてしまった。しかしそれでも我々の生活は続けていかれるのである。なぜなら、「スーパーの仕事」の方が実際には我々の生活において必須だからである。

所詮、あらゆるオフィスワークはadditionalなもの、すなわち付属品に過ぎず、あってもなくても我々が生活を続ける上では問題がなかったのである。

スーパーの人参の方が実は価値が上だったのである。


そのような認識と共に、このような状況に至ってようやく、仕事で自分を騙していた多くの人々も一つの真実に直面せざるを得なくなったであろう。

突如として持て余すほどの時間を与えられ、それをただ無為に垂れ流すだけ、つまり退屈がやってきたのである。

しかし「やってきた」という表現は実は正確でない。退屈は常に我々の目の前にあったのだから。

すなわち、退屈は常にそこにあるのに、我々はそこから目を背けようと様々なヴェールをこしらえてきたのである。

人類の歴史とは退屈を覆い隠す試みだったのではなかろうか。

仕事、夢、希望、宗教、趣味、家族、友人、恋、セックスなどはすべて、油を売るための、自分を騙すための、「真実」を見ないようにするためのおとりであった。

いやむしろこう言うべきであろう。

人生は空白であり、その空白を埋めるために開発されたのが仕事であり、希望であり、家族であり、恋であり、セックスであった、と。

仕事をしていたのも、大学で勉強していたのも、希望を抱いていたのも、恋人とつながりを築いていたのも、すべてはおとりの一部にかかっていたからに過ぎず、それがなくなった今、ひとつの真実、すなわ「人生は空白」という真実が露見しているのである。

そのおとりの存在にすでに気づいていた人たちにとっては、あらゆる事柄がすべてまやかしであることは明らかであり、「仕事をしているふり」「勉強をしているふり」「夢を抱いているふり」「悲しんでいるふり」「喜んでいるふり」「愛しているふり」、そして「生きているふり」という演技の連続体こそが、いわゆる人生と呼ばれるものの実態であった。


人間という種族は、明くる日の食料に困る事がなくなった時点、つまり食料を自給できるようになった時点で滅びるべきだったのではなかろうか。

それ以後の人間の歴史はすべて余事にすぎず、宗教も文化も文明もすべては暇つぶしの産物に過ぎなかったのである。

人間種族の歴史は食料自給ができるようになった地点で完結しており、その後の技術の発展だとか文明の進歩だとか国々の興亡だとかはすべて、余生を生きている暇な人間たちの徒事、戯れ、言葉遊びであった。

食料を得ることに日々汲々としている動物たちは、歴史を完結させずに、まだしっかりと歴史の中を生きているのであって、我々人間の目に、彼らの方が「善き生」を生きているように見えてくるのも当然である。


思うに、この外出禁止令の下での時間とは不思議なものである。

「私がこれまで誇りに思っていたこと、価値があると思っていたこと、私の存在そのもの、そしてあらゆる人間存在そのものは、すべてこの世の余剰に過ぎず、私の人生は生まれてから死ぬまですべてが余生であり、私にはその膨大な時間を何らかの方法で埋めていく義務が課されている」という真実への認識を世界中の人々に迫るこのような契機が今後も頻繁にあるとは思えない。