by axxxm
9/August/2018 in Warsaw
数ヶ月前の話ですが、アルバム『夜、カルメンの詩集』を聴きました。
清春という歌手の新作アルバムです。
この記事のタイトルは、アルバムの最後に収録されている曲「貴方になって」の歌詞の最初の一節。
彼のリリースするアルバムはすべて聴いてきましたが、今作は「最も悲しいアルバム」でした。
今回のアルバムほど悲しい雰囲気に満ちたアルバムはかつてなく、初めて通して聴いた時は、ここまで悲しい気持ちを抱くとは予想しておらず、我ながら驚いてしまいました。
スパニッシュがテーマということで、もちろんこの歌手なら陽気でポップな作風になるわけがないことはわかっていたものの、もう少しアップテンポな曲が多いと思っていました。
個人的に極め付けだったのは「貴方になって」で、アルバムの最後にここまで悲痛で、感情の込もった曲を置いたのが意外であり、また新鮮でもありました。
この記事のタイトルにもなっている歌詞の一節が、頭の中をなぜかリフレインして離れません。
一点補足しなければならないのは、アルバムを聴いて私が感じた「悲しみ」とか「痛切な感じ」とは、曲の雰囲気や歌詞だけから来たものではないということです。
端的にいうと、歌っている声が非常に枯れているのですが、それが「永遠に失われたもの」を見る(聴く)ような哀しみを運んでくるのです。
「永遠に失われたもの」、それは彼の艶のある、伸びやかなクリーントーンの声です。
2016年リリースの前々作のアルバムの一部の曲で、すでに声が枯れていて、若干の聞き苦しさと悲しみを感じていました。
しかし、今作のように全曲に渡ってその声で歌っているのを聴くと、本人がこの枯れた声を受け入れて、なんとか納得し、それでも歌っていこうとしているある種の潔さを感じるとともに、過去の彼の声を知っている者にとっては、ある種の郷愁感、まさに「永遠に失われたもの」を見た(聴いた)時のような、哀しみを感じてしまうのです。
今作の収録曲には、「UNDER THE SUN」や「HORIZON」といったような、流麗で広がりのある曲はなく、彼の声だけでなくメロディーも、どこかザラザラとした質感を放っています。
それが彼の枯れた声と微妙に絡まり合って、妙味を有しています。
ただその「妙味」という感覚は、どこか「喪失感」という感情とも混ざり合っていて、素直な意味で「良い」というよりかは、「もはやこういう声しか出ないんだ」という、昔を知ってる者の悲しみが多分に含まれています。
それが冒頭に書いた「最も悲しいアルバム」という印象につながっているのだと思います。
そのような意味では、このアルバムは「枯れた声で歌われた、失望だけを運んでくるアルバム」となりかけていたのですが、アルバムの最終曲「貴方になって」で、このアルバムは救われていると感じます。
この曲でも、彼のかつてのような伸びやかな高音を聴くことはできません。
ただこの曲こそが、枯れた声、いびつな形をした声、かつてのクリーントークでは歌えない曲。
まさに言霊、『エレジー』を感じる曲。
この曲がなかったら、このアルバムは単に彼の枯れた声を示すだけのアルバムとなっていたでしょう。
『夜、カルメンの詩集』。
悲しくて、哀しくて、唯一無二のアルバムでした。