by axxxm
11/December/2022 in Tokyo
ジョージアの首都トビリシに11月下旬から2週間滞在した。
この国は長年訪ねたいと思っており、今回来てみてよかったら次回は長期滞在をしようと考えていたが、おそらくそうはならないであろう。
それは後ほど書くように、この街には非常に不快な要素があったからである。
それはジョージアの男たちであるが、その点は後ほどくわしく書くとして、以下トビリシの印象、プラス面、そしてマイナス面に触れていく。
トビリシに着いたときの第一印象は、この夏に1ヶ月滞在したボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボだった。
それは単に街が山に囲まれているという地理的な共通点ゆえである。
それから2、3日ほど街を歩いていると、ここには東京の下北沢、あるいは高円寺によく似た雰囲気があることに気がついた。
古着屋、カフェ、ビンテージショップ、崩れた道路にすり切れた外壁が並ぶ決して美しいとは言えない道の景色・・・、そこからおのずと立ち上るリベラルでクリエイティブな雰囲気。
トビリシという街全体が高円寺のようにも感じられた。
これはヨーロッパの街でいえば、10年ほど前のアムステルダム、あるいは数年前のベルリンといったところだろうか。
家賃は安く、規制もゆるく、街は自由の空気が満ちていて、芸大の学生やアーティストが多く移り住んでいた頃のアムステルダムやベルリンである。
それからしばらく経つと、この街にはウクライナのキエフによく似た景色があることに気がついた。
典型的なのが地下鉄で、そこだけを切り取って見れば、キエフとほぼ見分けがつかない。
キエフの中心街を少し離れたところで見るような、共産主義的、あるいはソヴィエト的としかいいようがない、退屈で鬱屈した建物、元々すでに醜いのに、そこに住む住民の「生活」によってさらに一層汚され、遠目に見ても実に汚らしい集合住宅はトビリシでも目にすることが何度もあった。
かようなイメージの変遷を経てしばらくすると、この街はやはりサラエボのように感じられた。
私はサラエボという街にそこまで明るい記憶がないのだが、そのような印象が、後述するこの街のネガティブな経験とよく似ていたからである。
ジョージアという小国の首都にしては、トビリシは非常に大きな街である。
大通りが2本(Rustaveli Ave & Davit Aghmashenebeli Ave)あるという点でも、トビリシの大きさがうかがい知れる。
この点がサラエボのように、首都にもかかわらず地方都市の香り濃い場所とは違う点で、トビリシには「首都の風格」というものが確かに感じられる。
そのような大きさに比例するように、交通インフラもしっかりしている点はプラスである。
地下鉄はうるさく、電車内の空気は汚い。バスは、バス停の電光掲示板に表示される時間通りにはやってこない。
しかし地下鉄もバスも数多く運行されており、少なくとも待っていればやってくるのである。
この点もサラエボのように交通インフラが貧弱、さらにはGoogleマップすらまともに機能しない街とは異なる点である。
トビリシの人々のファッションを興味深く思うこともよくあった。
前述のように、この街にはリベラルな雰囲気があるためか、ファッションセンスに優れた人が多い。
それはハイブランドの服を着こなしているのではなく、古着屋の服をうまく着こなしているという風の、クリエイティブなファッションである。
そのような人たちをここまで多く見ることは、ヨーロッパの国の首都でもなかなかないことである。
最後に触れたいのは、トビリシの女性たちである。
トルコ女性風の、肌がやや浅黒く、鼻の高い、目が大きく突き出たタイプの顔立ちから、白系ロシア人風の、目と髪と肌の色の薄い典型的なスラブ人の見た目まで、中東からロシアの間のバリエーションすべてがそろい、そして深く混淆しているのである。
トビリシの女性の顔立ちは非常に多種多様で、それはこれまで私が訪ねた街の中でも一番であった。
背がそこまで高くなく、平均的には160から165センチあたりであるのも親しみやすさを覚えた。
マイナス面として挙げるのは価格、Expatコミュニティの薄さ、犬、ジョージアの男の4つであるが、この中で私が耐えがたいほど不快であったのは最後に触れるジョージアの男たちである。
まず価格の高さには驚いた。
今回私はセルビア、ボスニア、クロアチア、モンテネグロ、ポーランドと旅した後にジョージアに来たのだが、この中でもっとも経済発展していないにもかかわらず、価格はもっとも高かった。
一例を挙げる。
牛乳(900ml):250円
小麦粉(1キロ):100円
砂糖(1キロ):150円
卵(10個):250円
トイレットペーパー(12ロール):1250円
現地の人に聞くと、ここ2、3ヶ月で価格が急上昇したとのことで、その原因は当然ロシアの始めた戦争と、ロシア人の大量流入である。
数年前よりジョージアはデジタルノマドの間で有名だったので、Expatコミュニティも多くあって、Socialisingイベントも盛んであると予想していたが、実際はそうではなかった。
少なくとも私が滞在した2週間のうち、Socialisingイベントは2つしかなかった。
これは、例えば、ほぼ2、3日おきにSocialisingイベントのあるワルシャワなどとは大きな違いである。
調べてみると、ウクライナでの戦争が始まり、物価が高騰して以降、この国を離れたデジタルノマドは多数いるようで、以前はExpatコミュニティが活発だったと想像される。
なお、私がこの夏にいたセルビア同様、ここでもSocialisingイベントに来ている人の過半数はロシア人であった。
次のマイナス面は野良犬である。
この街ではいたるところに犬がいる。
私は別に犬嫌いではないが、野生動物を触りたいとは思わず、向こうから寄ってくるのも大変迷惑である。
そのため、泊まっていた宿の出口近くをなわばりとしていた野良犬が、毎回私の外出のたびに寄ってくるのは不快だった。
ある晩、知り合いに会って23時ごろに帰路に着くと、家の近くの坂道で野良犬に吠えられながら追いかけられたこともあった。
犬に追いかけられるということ自体人生初の経験だったが、私の恐怖を加速させたのは、この犬が狂犬病を持っている可能性だった。
この街で予防接種をしている犬には耳にタブが付いている。
しかしその中には期限が切れているものもたくさんあること、そして少し見渡せば、タグをつけていない犬もたくさんいることに気がつく。
こういう状況を見るたび、私はこの国の政府の怠惰が露骨に表れているようで腹立たしく思った。
「管理できないくらい犬がいる」というのが多くの人の言い分だが、それは結局言い訳に過ぎないのではなかろうか。
あるいは「トビリシでは動物(犬)と人間が共生している」と現状を理想化する意見を目にすることもあったが、私は人間と動物は一線を引いて付き合うべきであると考える者であり、人間の領域に動物が入ってくることを好ましく思わない。
しかし「動物と人間は一緒だ」などといった、実に愛に満ちた博愛主義の考えは、リベラルでヒッピー的な思想を持つアーティストやクリエイティブ関係の人たちと親和性が高いであろうから、野良犬にあふれる今の状況は当然の結果なのかもしれない。
しかし道路のいたる所に犬たちの糞がころがっている状況を見て、犬を管理しなければいけないと思う人間はこの国にはいないのであろうか。
そして最後にジョージアの男たちである。
道路、駅、電車、バス、カフェ、いたる所で私は視線を感じた。
私はアジア人/日本人であり、見た目が現地住民とは異なる。
そのため、こういう現地住民からの視線は、他の国、特に東欧およびバルカンの国々で多く経験しているが、そこに度を超える不快を覚えることは少なかった。
しかしジョージアでは違った。
この国の男たちはみな、たわけ者のようにジロジロと私を見てきた。
私と目が合っても、視線をそらさないばかりか、さらに一層見てきた。
最初の数日はそれを不快に感じたが、それがある種のいらだちに変わるまで時間はかからなかった。
若者から年寄りまで、あらゆる男たちが私を見てくることが続くと
「コイツらはなんて馬鹿げたことに注意を払っているのだろうか?」
「コイツらは他の人間、しかも男である私にエネルギーを使う以外にすることがないのだろうか?」
「コイツらはなんて馬鹿な行為で人生を無駄にしているのだろうか?」
といういらだちが湧いてくるようになった。
人生を浪費していることにすら気がつかない、痴呆のような人間に囲まれて生きることに、耐えがたい不快といらだちを覚えるのは当然である。
しかも過剰な注意を注いでる対象は、うら若き乙女ではなく、アジア人の男である。
ジョージアの男とは、どれだけ低俗な連中なのであろうか。
私はジョージアの男たちほど馬鹿げたことに熱中しては人生を浪費している人間を知らない。
そしてジョージアの男たちこそ、私のこの国の滞在を耐えがたいほど不快なものにした元凶である。
こうやってジョージアの男たちに対する呪詛を書いてきて思うが、男である私から批判されるジョージアの男たちとは一体何者なのであろうか。
女性の旅行者から「あの国の男たちに不快なことをされた」と聞くことはしばし起きることである。
一方で男の旅行者の口から、「あの国の男たちに不快なことをされた」と聞いたことは、少なくとも私はない。
しかしいま私は自分自身でそれをしているのである。
そして同性愛者でもないストレートの男の私から批判されるジョージアの男たちとは、一体どれだけ不快で馬鹿げた存在なのかと思うのである。
おそらくこの国の男たちが私に目を向けていたのは、私の髪がこの国の男たちの標準より長いこと、そして服装も明らかに異なっていたからだが、それでもそういった者に向けるジョージアの男たちの視線を観察していると、この国の社会が実に家父長制であることは明らかだった。
そして私は三島由紀夫『午後の曳航』の次の一節を思い出していた。
『こういうときの父親の、あらゆる独創性を警戒する目つき、世界を一ぺんに狭くする目つきを見るがいい。父親というのは真実を隠蔽する機関で、子供に嘘を供給する機関で、それだけならまだしも、一番わるいことは、自分が人知れず真実を代表していると信じていることだ。父親はこの世界の蝿なんだ。』
"And did you ever look at a father’s eyes at a time like that? They’re suspicious of anything creative, anxious to whittle the world down into something puny they can handle. A father is a reality-concealing machine, a machine for dishing up lies to kids, and that isn’t even the worst of it: secretly he believes that he represents reality. Fathers are the flies of this world"
最後にトビリシで見つけた、ノマドワークに向いているカフェをいくつか紹介する。
私は一度もパソコンを持ち込んで作業をすることはなかったが、下記のどのカフェでもパソコンで作業をしている人を多く見た。
Macbookを使っている人ばかりだったので、おそらくは現地のジョージア人ではなく、ロシア人のリモートワーカーやノマドワーカーが大半を占めていると思われる。
Red Man Cafe Tbilisi(https://goo.gl/maps/ZYkBpLAS3UuSzCUr9)
pulp(https://goo.gl/maps/zZqTPUnpeqKH2KCH8)
Hello Breakfast(https://goo.gl/maps/uwQE1c7QdMepgcsX7)
Shavi Coffee Roasters(https://goo.gl/maps/xc4cnrvPidYXkBEk9)
Coffee Place(https://goo.gl/maps/8Jfg6vJckPT6k2h36)
Nami Wine & Coffee ნამი(https://goo.gl/maps/KYRoQRiaisJRxzKKA)