セルビアとロシア人

17/June/2022 in Belgrade

昨夜はイベントがあるかと思ってサバ川沿いのレストランへ行く。

告知はされていなかったが、二週間に一度イベントがあるとのこと。もしかしたら徒労に終わるかもしれないと思いながら行くと、やはりやっていなかった。

路上やバス内で人から視線を浴びることに疲れただけだった・・・、となるところ、川沿いの遊歩道にいた二人組の女性と、その後はベンチに座っていた別の二人組の女性に話しかけ、ある程度のコミュニケーションを産むことができたので、意外に悪くない外出になった。

女性は皆ロシア人で、セルビアに流れ込むロシア人の多さを見た思い。ある種、ポーランドの路上で適当に話しかけた時、その少ない人たちがウクライナ人であることに状況は似ている。


セルビアに来る前から、この国はロシアと今でも友好的な関係を持っていると聞いていたが、ロシアからの移住者がここまでいるとは知らなかった。

社交イベントに行けば、少なからぬロシア人に会う。

ロシアから個人的に脱出した人もいれば、会社が丸ごと、あるいは部門がいくつかセルビアに移転し、それに着いてきた人、会社は今もロシアにあるがリモートワーカーとして移った人もいる。

業界はやはりIT系が多く、ファイナンス関係がそれに続く印象。大半の人は二十代である。

最初私には、彼らが皆、今のロシア政府の行動には反対しており、その結果、国を離れるという決断をしたのだろうと無邪気に思っていたのだが、実はそうとも限らないことにすぐに気がつかされた。

政府を支持していても、会社がこの国に移転したから仕方なくやってきたロシア人がいる可能性は皆無とはいえないだろう。

この事は、あるところで話したロシア人女性が、「戦争には反対だけど、ウクライナ政府もひどいことをしていた」と、憤りを込めた口ぶりでわざわざ二回も繰り返す場面に出くわしたからだった。

日本や米欧のメディアにかこまれ、「親ウクライナ」の言説、「ウクライナは一〇〇パーセント善であり、ロシアは一〇〇パーセント悪である」という語り口ばかり耳に入ってくると、「ロシア政府に反対だから国を脱出した」というロシア人は全員、私を含む大部分の日本人とまったく同じ認識を持っているように思ってしまう。

しかし白と黒の間のグラデーションは、実際には想像よりもはるかに濃いのである。

「戦争反対」というお題目以外は、ウクライナ政府の正しさだとか、二〇一四年以降に何が起きたのかなどには触れないのが賢明だと悟った出来事だった。


セルビアはロシアとの歴史的なつながりが深く、EUにも入っていないので、日米欧が課している経済制裁には参加していない。それでいて国連の避難決議には賛成票を投じている。

いわば中立路線をとっているのである。

これまで、まだ十分な数のセルビア人から話を聞いていないので、一般的なセルビア人がどういう考えをもっているのか、私は自分の見聞をもとには語れない。

しかし実はセルビア人とこの事柄を話すことにある種のためらいもある。彼らの何人かは、それが多数なのか少数なのかまだわらないが、私が過去四ヶ月耳にしてきた親EU、親アメリカ、そして親NATOの言説とは異なる情報を摂取しており、私の馴染みのないことを、彼ら自身にとっての真実として話してくることが予想されるからである。


私はセルビアに、この現在進行形の事柄を議論したり、理解を深めたりするためにやってきたのではない。イスラムとキリストの二つの宗教に支配された経験を持つ地域の歴史から、このバルカンに興味を持ち、その中でも一番発展しているセルビアの、その首都へと来たのだった。

元々セルビアへは、二年間住んだポーランドから日本に帰国した四ヶ月の二〇二一年三月に来る予定だった。

出発までにコロナウィルスも収まっているだろうと楽観的に考えていたが、いざ三月が近づいてくると、「ワクチン」という言葉が徐々に聞こえてきた。

三月が来てもコロナウィルスの状況は落ち着いておらず、ワクチンを摂取していることが海外旅行の要件の一つとなりつつあるのを見て、出発は延期することにした。

この時の計画ではセルビアに三ヶ月、その後ウクライナ三ヶ月、その後はジョージア、あるいはロシアのモスクワとサンクトペテルブルクを訪ねる計画だった。

一年が経って二〇二二年の三月。

コロナウィルスは落ち着きつつあり、一年前の延期理由は解消していたが、二月二四日から、ある意味ウィルスよりももっと悲劇的なことが始まっていた。

その結果、ウクライナ、ロシアは私の旅行計画から当然消え去って、残っていたのはセルビアだけになっていた。


一年前に考えていたセルビア、ウクライナ、ロシアという国々が、一年経ってみると、それぞれまったく異なる立場に分裂しているのを発見することは奇妙な感覚だった。

単なる好奇心で選ばれた国々に、一年後にはぬぐいがたい政治的ラベルがべっとり貼られているのを見ることは奇妙な体験だった。

ウクライナ人でも、ロシア人でも、ましてやセルビア人でもない日本人の私は、これからの二ヶ月半のセルビア滞在で何を見、何を聞、何を思うのだろうか。


サバ川沿いの遊歩道からの帰り道には、前から来たい思っていたバクラバショップで、バクラバをいくつか買う。

閉店間際で、店内は伽藍堂。

店に入って三〇秒ほど、誰の姿も見えなかった。

出てきた男は店主と思しき中年男性で、にこりともせず、英語も話さない。

それだけならいいが、そこにセルビア人と思われる女性客二人が入ってきて、その二人とも、目が合ってもこれっぽっちも表情をくずさない。

一人は若い女で、アイスをスプーンですくってぺろぺろ食べていた。スリットの入ったカジュアルなスカートから見えるきれいな脚が、なにか必要以上に私の緊張を高めていた。

店内の気まずい空気の中、指さしで注文をすませ、会計をする。

日本人らしく、私は終始笑みを顔に貼り付けていたが、バクラバの入ったビニール袋を受け取ると、逃げるように出口へ向かった・・・と、その時、男の声が後ろから聞こえてきて振り返ると、男はなにか言いながら、カウンターに並ぶバクラバをひとつつまんで、ナプキンに載せて差し出してきた。

よくわからないままに受け取って、「Thank you」と言って、再び出口へ向かう。

入り口の外の、少し広くなっているところで、左の手のひらに載ったバクラバをまじまじと見た。

男はなぜこれをくれたのだろう。閉店間際で、このバクラバの消費期限が迫っていたのだろうか......。

理由を求める気持ちはすぐに、男が示してくれたこの小さな優しさにかき消されて消えた。