死を想う

26/July/2020 in Warsaw

人間というものは、死を考えて初めて、「人生」というものを始められるのではなかろうか。

我々は、両親の淫交によって意味もなく生まれ落ち、そしてその発生過程の淫らさを認識できる故に、それとは真逆の、生真面目でしゃちほこばった「生きる意味」とか「人生の意味」とかというものを求めてしまう。

しかしそれは頭の中で考えて見つけられるものではなく、ましてや世界を旅してどこかの国のうらぶれたホテルの部屋の片隅で見つけられるのを待っているものでもなく、我々が人生を進める中で自ら創り出していく必要があるものであろう。

自分の外に「意味」を見つけるという受動的な態度から、自分の内に「意味」を自ら創り出すという力強い能動的な態度への転換の契機は、「死を考える」ということにあると私には思える。

つまり、死を想うことが消極的な、逃げ腰な態度を招くのではなく、死という終わりを意識するからこそ、時間の有限さを知り、そこから人生に対する積極的な態度を涵養すること。