作品の愉しみ方

10/May/2023 in Tokyo

私は幅広くアーティストの作品を楽しむタイプではなく、ごく限られたアーティストの作品を何度も反芻する。

それは私の興味関心がそもそも広くないからだが、ここにあるひとつの愉しみは、アーティストの変遷が見れることだ。

「変わるもの」と「変わらないもの」である。


私が「変わらないもの」の魅力に気がついたのは、『poetry』というファーストソロアルバムだった。

聞いていると、同じ歌手の10年以上前のアルバム『亡骸を・・・』が思い浮かんだ。

意外だった。

一方はメランコリックな静かな曲で占められた、上質なソロアルバム。

他方はインディーズ時代の、激しさと荒さのこもったバンドのアルバムである。

今も具体的にどこが似ているのかをはっきり示すことができない。

強いていうなら、底に流れているあるエレメント・・・暗さ、悲しさ、妖しさ、美しさ・・・そう、同じ美学が流れていた。

変わらないものと変わるもの。

あるいは、変わらないものと上手くなるもの。

これが「アーティストの変遷」といったものに興味を持つ最初のきっかけだった。


『亡骸を・・・』はいつ聞いても、彼のエッセンスが詰まっているとしか思えない。

全般的にいうと、メロディに対する声の当て方。

具体的にいうと、『Misery』の間奏部分、「思い出の異空間 新しい血が流れる 止まった血のつながり もう誰も汚せはしない」。

『讃美歌』の最後、「わたしだけが選ばれること、叶わぬ様に・・・」。

『If』の間奏、「I believe but can't see」の繰り返しと高まる声。


他には例えば三島由紀夫。

死去する40代で書かれた文章と20代に書かれた文章は、素人目には似ているように見えるだろう。

しかし何度も何度も読んでいると、40代の文章は余計な脂肪が落ち、すっきり引き締まっている。

これを読んだ後に20代のものを見ると、冗長な箇所や文章が過度に難渋なところが目につく。


バンドのファーストアルバムには特別なものがある。

世に出て名の知られたあとのアルバムにはない勢い、荒さ、そして若さが見えることが多い。

それは一回限りの生の輝き、一回限りの光を捉えてパッケージしたもので、もう二度と繰り返せないものである。