デジャヴ

2/May/2023 in Tokyo

この週末、立て続けに不思議な経験をした。

2つの本を読んでいて、そこに書かれていることが、まるで自分がかつて書いたことのように見えたのである。

まずひとつめは日本文化の真髄は「簡素さ」「Simplicity」にあるという説に対する私の疑念。

私は2020年に次のように書いたことがあった。


日本のウェブサイトの特徴を考えると、私はいつも日本の街並みを連想します。

私はヨーロッパの国々に行くことが多いのですが、日本に帰ってくるたびに特徴的だと思うのが、街に所狭しと設置された看板と広告です。これは「国土が狭いので、小さなスペースもできるだけ活用する必要がある」という現実的要請に基づくものだとも考えられますが、それが節操なく行われ、結果として乱雑な印象を与えてしまうというのは、必ずしも日本的な現象というより、広くアジア圏全般にみられる現象にも思えます。

しかし実際のところ、「狭いスペースに多くのものを詰め込む」という特徴は、現実的要請(=土地の狭さ)に基づいて生まれたものというよりかは、むしろ日本人の性格に元々埋め込まれていたものだと私は見ています。例えば駅や公園の標識や掲示物を見ると、余白は許さないかのごとく、注意書きの文字が隅の隅まで並んでいます。

「龍安寺庭園に代表される余白の文化が日本の特徴の一つ」と考える向きは強いですが、あのような意匠は、むしろ日本人には余白の文化がそもそもなく、そのような流れに逆らって作られた例外的存在のために後世に歴史に名を残した、と考えることもできます。

このような考えを裏書きするのが日本のウェブサイトのデザインです。インターネットに空間の制限はないにもかかわらず、依然として日本語のウェブサイトの多くは、余白を恐怖するかのように文字や画像で塗りつぶしています。このような話でよく例に出されるのが日本最大のECショップ、楽天のウェブサイトで、今はややスタイリッシュになったものの、数年前までは故意にしているのかと疑ってしまうほど乱雑な見た目でした。しかし、当時も今も英語版の楽天のウェブサイトはスッキリとしたデザインで作られており、日本版の乱雑なデザインとは対照的なので、乱雑なデザインこそ日本人には広く受け入れられるものであるという一つの証拠を提供してくれます。


これと同じ説が『醜い日本の私(中島義道/新潮選書・2006)』にも書かれていた。

しかしもしかしたら、私はどこかでこの本を読んでおり、それを忘れていただけなのかもしれない。

この著者の本は何冊か読んだことがあるので、これがその中の一冊であった可能性がないともいえない。

しかしもう一冊は違う。

『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎(早坂隆/文春文庫・2010 )』という本には以下のような文章があった。


ポーランドというと、第二次世界大戦においてナチス・ドイツに蹂躙されたという歴史的事実ばかりが語られるが、第一次世界大戦終結直後のポーランドは、欧州大陸の中でも最も領土的野心をあからさまにした国であったと言っても間違いではない。洋の東西を問わず、当時の国家間の戦争において、どちらか一方が加害国で、一方が被害国であるなどということはありえず、戦争とはその割合の差異はあるにせよ、国家間の相互的な関係性の中において、発生するものである。(p.84)


ここには著者の意図が2つ見える。

「ポーランド=歴史の被害者」という世間に跋扈するステレオタイプとは違うイメージを呈示しようとする意思、そして歴史において加害者と被害者は明確にわけられるものではないという相対化の視線。

実はこれらは、私が2021年に書いた次の文章に込めたものでもある。


歴史を少しひも解けば、ポーランドが「領土的野心」なるものをもって周辺国を侵略していることがわかる。そして侵略を受けたリトアニアやベラルーシ、そして特にウクライナの視点から見ると、世に流布するイメージとは異なる姿をポーランドは見せるのである。

ポーランド=ソビエト戦争」といっても、普通の日本人には馴染みのない戦いである。それはこれが、第一次大戦と第二次大戦の間に挟まれた複雑な時期に起きた出来事だからであるが、この戦争は第一次大戦後のパリ講和会議で一二三年ぶりに独立を回復したポーランドが、旧領土の再獲得を目指して一九一九年にソ連へと侵攻したことに始まる。ロシア、プロイセン、オーストリアによる三度にわたるポーランド分割(一七七二〜一七九五年)以前のポーランドは、ヨーロッパの巨大国家であり、その領土は、北はバルト海から南は黒海にまで及んでいた。今のベラルーシ、ウクライナ、そしてロシアの一部がその領土に含まれており、それら東方地域の大部分は、ルブリン合同でリトアニア大公国を併合することでもたらされたものであった。

一九一八年の独立回復後に、その「失われた東方領土」を求めて起こしたのがポーランド=ソビエト戦争であり、その結果、リトアニアの一部地域、ベラルーシ、ウクライナ西部のガリツィア地方をポーランドは取り戻す。しかし「取り戻す」とは支配者側の見方であって、ポーランドとロシアの間にある国々からすると「支配された」なのである。例えばヴィリニュス(現リトアニアの首都)はポーランドとロシアで奪い合いとなり、国際連盟が調停に入っている。「命のビザ」で有名な杉原千畝の勤務する日本国総領事館が、リトアニア第二の都市カウナスにあったのは、首都ヴュリナスが当時占領されていたからである。ウクライナに関しては、西ウクライナ人民共和国を侵略してガリツィア地方を占領したが、ポーランドの「領土的野心」はそこだけにとどまらず、ウクライナ全域の獲得をも目指していた。キエフのソフィア大聖堂の前には、一七世紀にポーランドと戦ったフメリニツキーの像が立っていて、歴史をひも解けば、中世から長い間、ウクライナはポーランドの支配下にあったことがわかる。第一次世界大戦後、ポーランドは国土を回復したが、ウクライナはポーランド、ソ連、ルーマニア、チェコスロバキアの四カ国によって支配されることになった。

このような歴史のため、ポーランドとの関係に対し、言うにいわれぬ感情を抱くリトアニア人やウクライナ人に私は会ったことがある。かつて加害者であったことが、のちに被害者となったときの同情の余地を奪うわけでは決してないが、隣人の瞳には日本人とはまた違うポーランドの姿が映っているのであり、ポーランドは大国に囲繞、蹂躙され、常に弱者として虐げられてきたといった甘いセンチメンタルなイメージは、正確とはいえないのである。

しかしこのように書きつづっていても、ある種の空虚感が立ち籠めてくることは否めない。ある土地が元々A国の領土だった、B国はそこを侵略した云々という話があっても、そこにどれほどの意味があるのだろうか。歴史の始まりから絶えず国境線が変化し続けてきたヨーロッパの国々や、いやらしいほど人為的な直線の線で区切られたアフリカ北部などを見るまでもなく、「国土」や「領土」「土地」、そして「民族」などといったものは、所詮は人間の言葉遊びに過ぎないところがある。

人類の歴史とは戦いの歴史であり、奪い合いの歴史であり、所有権の主張の歴史であるが、それを思うといつも私は、野の動物たちがいかに「善き生」を生きているのかと嫉妬を禁じ得ないのである。ヨーロッパの公園ではリスを見かけることが多い。人間が餌を持って近づくと、彼らはすばやくそれを口でくわえて走り去っていく。餌をくれた人間に何らの感謝の念も示さないばかりか、人のものを掠め取った罪悪感すらも感じていない素振りに、リスには所有権という観念が甚だ希薄なことがありありと見えるが、平和と幸福のヒントとは、実はそこにあるように思えてならない。

―『ポーランドは「悲劇の国」という錯誤』


『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎(早坂隆/文春文庫・2010 )』は、私が上の文章を書くよりもはるか前に世に出ているとはいえ、読んでいないことには確信がある。

「樋口季一郎」という日本の軍人の名を私が知ったのは先週で、そしてこの本は樋口季一郎に興味がない限り、手に取るものではないからである。

「同じようなことを書いた人がいる」とは、より一般的にいえば「同じように考えている人がいる」ということに過ぎず、そう見ると別に何も特別なことはない。

しかし文章で書かれたものを見つけると、私が今しているように記事をひとつ書きたくなるほど特別な感があるのはなぜだろうか。

「日本文化=Simplicity」とか「ポーランド=歴史の被害者」という世の人の信じきっている幻想とは異なる、少数者しか知らない「真実」を共有しているという感覚ゆえか。

「実は自分は最初の発見者ではない。すでにそれは発見されていたのだ」という敗北感と嫉妬ゆえか。