日本の過剰の不気味

13/May/2023 in Tokyo

*English ver

住んでいる街の図書館の入り口近くには机があり、そこには広報の知らせや市内のイベントのチラシなどが置かれている。

机の端にはやや大きめの紙袋が2つあって、その前には「ご自由にお持ちください」と書かれている。

中身は女性の生理用品である。

おそらく生理用品を買うにも困っている女性に対するサポートとして置かれているものだった。

私がここでこれを初めて目にしたのは3年ほど前のことだ。

そのとき意外に思ったことを今もよく覚えている。

生理用品を買えない女性がいるほどこの国で貧困が進んでいることへの驚きからではない。

意外に思った理由、それはこの国では女性の生理の話題は極度に避けられていたからで、こういった公共の場で、しかも無料給付という形で生理用品が渡されているところに、そのような社会の空気の明らかな変化を見たように思ったからである。

公の場に置けること、それが無料であること、そしてそれを役所がしているということは、生理用品に対するタブーの空気は薄まってきており、さらにそこに税金を使うのに抵抗する人も少ないことを意味している。

変化に気づくとは、所与のものとして受け取っていたかつての状態がどれだけ異常であったのかに気付かされることである。


ヨーロッパに住んでいるとき、生理の話題が女性の口から出てくることが妙に新鮮だった。

私は男なので込み入った話があるわけではなく、あくまで「言及」であり、またすべての女性がオープンに話しているわけでも当然ない。

しかし日本にいる時にはどの女性からも一度も耳にしたことがなかったことと比べれば、ヨーロッパの女性の態度は非常に自然だった。

それを「ラフでカジュアルなヨーロッパ人だから」とステレオタイプで理由づけすることもできるが、妙に新鮮に感じた私の印象それ自体が、生理の話題がどれだけ日本ではタブーとされているかを示していた。

見方によっては過剰なほどのタブー視で、その昔、コンビニでバイトをしていたときにこんなことがあった。

生理用品は小さな紙袋に包んで渡すよう教えられたのである。

当時はなにも疑問に思うことはなく、その通りに紙袋に入れて女性客に渡していた。

疑問に思わないのは私だけなく女性の側もおそらくそうで、だからこそ「入れなくていいです」といってきた一人の女性客のことを今でも覚えている。

あまりに例外的反応だったからである。

私は男なので、紙袋に入れるという処置をどれだけの女性がありがたく思っているのかわからず、またこれが日本だけのことなのかも知らない。

しかしこういった扱いがむしろ「生理はタブー」という空気を社会に生んでいることは確実だと思える。

少なくとも私には過剰な配慮に見える。

そしてこの国はあらゆる場面で過剰であることを思う。

過剰な配慮、過剰な丁寧さ、過剰なやさしさ・・・。

それは当然善意でなされているものだが、その結果何かが隠される。

当人は善意に「副作用」があるなんて気づきもせず、想像もせず、またそういった非難を受け入れられもしない。

一度日本の外に出ると、この国を包んでいる「やさしさ」「丁寧さ」「気遣い」はすべて過剰にしか感じられず、不健全で不気味なものに見えてしまう。