by axxxm
13/May/2023 in Tokyo
先日、図書館に行ってしばらく時間をつぶし、階下に降りると、白い帽子を目ぶかにかぶった女性の姿が目に入った。
見ると、その女性の横には別の女性が立っていて、二人して目の前の腰のずいぶん曲がった老婆と話していた。
帽子の女性の着ている白い服には模様があり、それがウクライナのものであったので、瞬時にこの女性はウクライナ人か、それに関係している人だと知れた。
しばらくしてその帽子の女性と、横にいた女性は去っていった。
残された老婆に話しかけてみると、つい先ほどまで目の前にあるホールで講演会があって、あの女性二人が壇上で話をしたという。
ウクライナを訪ねたことがあると軽く口に出すと、「あなたはなぜウクライナに行ったの?」「なぜポーランドに住んでいたの?」「仕事は何をしていたの?」「なぜ英語が喋れるの?」という質問が飛んできた。
老人と話していて気楽なのは、あちらが妙な気遣いをしてこないからであろう。
この国の大半の人間は気を遣ってくるが、それが場の空気を硬くする元凶である。
老婆とはなぜか30分も話したあとでようやく別れたが、話の中ほどでかけられたひとつの質問が生々しく残った。
「あなたに聞きたいの。日本でも戦争が始まるの?」
メガネ越しに見える老婆の目の湿り気が、この生々しい触感を運んできたのかもしれない。
そして私はふと気がついた。
戦争前は、日本に住んでいる日本人がウクライナに行くことも、この国に興味を寄せることも、すべては少数者の行いだった。
そういう中で私はウクライナを訪れたことがあり、また一般的な日本人以上にウクライナに関心を寄せているだろう。
さらに一般的な、いや海外経験のある日本人を含めても、彼ら以上の数のウクライナ人と会っているだろう。
しかしウクライナに関心を寄せる他の日本人に会うのはこれが初めてだったのである。
そして、「自分の国でも戦争は起きるのか?」といった当然の疑問を、他者から、自分の母語で投げかけられたのもこれが初めてだった。
ふと、私はいったい何をしてきたのかと思った。
ウクライナのことやそこの人たちと関係を持ちながらも、私のすべての出発点でありベースであるところにいる人たち、この日本人と呼ばれる人たちとは出会わず、出会おうともしなかった。
老婆と話して、それに初めて気がついたのだった。
同じ国の人から母語で投げかけられた言葉、そこにある不気味な生々しい手触り・・・・・、この生々しさこそ実は私がもっとも目を背けているものだった。
長年日本人を避け続けた結果として、私がどれだけいびつな経験を重ね、どれだけいびつな認識に染まっているのかを垣間見たような恐ろしさが一瞬身をかすめた。