耽美派と『そこから青い闇がささやき』

16/April/2023 in Tokyo

山﨑佳代子『そこから青い闇がささやき』をここ2、3日読んでいた。

「のめり込んだ」というわけではないが、なぜか最後まで読んでしまった。

他に読みたい本がなかったというのが理由だったのかもしれない。しかし惰性で読んだとは考えたくない。

あの本には「なにか」があったのだと思いたい。

というのはふりかえってみると、あの本を読んでいる時間には何か透明なもの......自分のその時の空気感、感覚に合致した本を読んでいる時にいつもあるもの......があったからで、読み終えたいまの私は、またその時間を再び味わいと思っているからだ。


ハードカバー版の表紙にあるVladimir Dunjicという画家の絵は、この本の魅力を高めている。

私は本のカバーデザインに注意を払うことは普通ないが、もし別のデザインやアートーワークだったなら、この本を包んでいる魅力的な空気は大きく減ぜられただろう。

そういう理由で、文庫版は廉価だがデザインが変わっているので触手が伸びない。

買うことは所有の満足を満たしてくれるものだが、あの絵のない文庫版はこの部分を満たしてくれない感じる。


『そこから青い闇がささやき』のクライマックス.....そういうものがあるとすればだが.....は、NATO空爆下での生活の部分だろう。

ここを2023年のいま日本人が読む時には、ウクライナを重ね合わせずにはいられない。

と同時に、2022年1月にこの本をはじめて手に取ったときに読み進めることができなかった理由は、私の期待との差にあったのだと今ならわかる。

私は最初この著者を耽美派だと思っており、こちらにも書いたが、実際に本を開いて目にしたはじめの数行が佐井好子の声を想起させたように、ごく初期段階では私のイメージ通りだったのである。

しかしすこし読み進んでみると、「戦争」や「戦時下の生活」という耽美とは真逆の、実に現実的なテーマが主題に置かれ、さらに日記形式の、いわば「地に足のついた」スタイルで進むところに、私の期待とのギャップを覚えたのである。

1年3ヶ月後にようやく読み終えることができたのだが、なぜか今もまだ耽美派というイメージが自分の中から抜けない。

この著者には妙な期待を抱いてしまう。

小説を読んでみたい。

その小説こそ、ついに私の期待を満たし、冒頭に書いた「透明な空気」をいっそう濃厚に、長い時間味わわせてくれるものであろう。