私を「日本」につなぎとめるもの

20/May/2023

*English ver

「日本」や「日本人」といったもの対してねじれた感情を抱き、私自身もはや100%の日本人であるとは感じていない。

それでも私がそこから完全にはすべり落ちず、今も(そしてかつて一度も)日本人以外の者になりたいとは思ったことのない理由。

それは日本の芸術作品、もっと広くいえば日本の文化のためだろう。

私の好きなアーティストはすべて日本人である。

振り返れば、いまだかつて外国の芸術作品やアーティストに深く没頭したことはない。

私が海外に興味を持つきっかけは映画で、その時は海外の映画ばかりを見ていたが、今でもその映画というジャンル自体を私は楽しまないので、あれは私の人生において例外的な時期であり、映画とは例外的な関心であったのかもしれない。

どちらにせよ、私が長年聴いている歌手は日本人で、好きな作家も日本人である。

海外の音楽を聴くこともあるが、それは全体の5パーセントにも満たず、そしてすでに述べたように、どの歌手にもどの曲にも深い思い入れを抱いたことがない。


日本人の歌手による曲なり、日本人作家の小説なり、あるいは神社仏閣なりといったものに触れたとき覚える、私の身の奥深くへと浸潤してくるこの感覚はなんなのだろうか。

私の内部へすっとすべり込んでくる。

自分の奥で共鳴しているものをたどっていけば、この作品と同じ根にたどり着くという感覚。

私とこの作品は地続きの、間違いなく同一線上にあるというこの揺るぎない感覚。

それはDNAレベルでの親和である。

これは日本の歴史に対したときの感覚にも似ている。

歴史の本を読むときや、史跡を目の前にしたときに感じるあの感覚。

自分のなか奥深く、過去へ過去へとさかのぼっていけば、間違いなく「そこ」へ到達するという「連続感」。

私の一部……決して小さくない一部……は「そこ」に由来しており、今もその流れは絶えることなく私の中へとそそぎ込んでいる感覚である。