あこがれ ― 20年間好きな人

5/June/2023 in Tokyo

*English ver

長い間、あるものや人を好きでいると気がつく。

「好き」という感情自体がいつのまにか独立して存在し、それの方が好きでいる対象よりも、もしかしたらより一層大切なものになっていることに。


好きな対象が人であるなら、時間と共にその人は変わってきただろう。

それでもまだ同じ人が好きなのだとしたら、「好き」という自分の気持ち自体は変わってこなかったことになる。

そしてその人を好きであった期間とは、自分がその気持ちに忠実であった時間、純粋であった時間だといえる。

こんなにも長い間、ある人に対して、つまり自分の気持ちに対して純粋であれたというのは、気がついてみるととても貴重なことで、そして自分にとってとても大切なことだと感じられる。


あの人を好きになって今年で20年になる。

好きだった気持ちがこの20年間ずっと一定だったわけじゃない。低いときもあった。

でもやっぱり今も好きだ。

あの人の声、詩、メロディー、そして姿は、もう自分の一部になってしまっている。

あの人のことを好きという気持ちは、もう変わらないのだと思う。

20年は長すぎた。

これからもずっとあの人のことが好きだっていう確信を生むには十分すぎる長さだった。


あの人はとても大事な人だ。

あの人の音楽もとても大事だ。

でももっと自分にとって大事なのは、あの人のことを好きという気持ちだ。

絶えず変わり、絶えず流れることを本質とする感情も、20年もの間ひとつのものに向けられていると、凝結してひとつの形、記憶とよばれる形となる。

20年間の感情とは20年分の記憶だ。

この20年間、あの人の音楽はいつも自分のとなりにあった。

どの曲を聴いても人生のある場面が思い浮かぶ。

あの人の音楽を今もまだ聴いていて、今もまだあの人のことを好きだということこそがただ唯一、この20年の人生の確かさを保証してくれているもののように思う。

この20年間、世の中は変わり、つきあう人も変わり、人生も変わり、そして自分も大きく変わった。

この20年間、無数の出来事がなんの脈絡もなく起き、無数の人たちが私の前に偶然現れては消えていった。

20年間の人生とはカオスだ。

有象無象の芥が投げ込まれたジャンクボックスだ。

なんの秩序も一貫性もない。

だからこそ変わらなかったもの、一貫して続いているものが一層輝いて見え、そしてそれこそが唯一自分の過去と現在とをつなげてくれているものに見えてくる。

好きという気持ちがいまも現在進行形で続いているから、この20年間の記憶が今も生きていて、今の自分につながっていると感じられる。

好きという気持ちがいまも確かだから、自分のこの20年間の人生も確かなものに感じられる。

あの人が今も現役で歌い続けていてくれるから、この20年間の自分の記憶とはぐれることなく、これからも一緒にいられると感じられる。

だから怖くなる時がある。

あの人が突然いなくなる日の来ることが怖くなる。

その日が来たときに感じるであろう驚き、悲しみ、空白、そして痛み。

ずっと続いてきた自分の人生の一部が終わりを迎えて、そして自分から切り離されてしまう断絶の痛み。

それを思うと今からもう怖くなる。