異邦人として生き続けることへの疑問

24/May/2020 in Warsaw

私はこれまで数カ国に住み、今もまだ外地に身を置いている。

かつては「日本国とのお付き合いは年に1度程度に限らせていただき、それ以外の時は外地に住んでいよう」と思っていたのだが、年を経るごとにそのような考は薄れ、今では「必ず日本に帰るだろう。否、帰らねばならない」との結論に達した。

そういう思いに至った経緯は、これまで何度か漫然とここに書いたことがあるが、今回はそのような自分の考えをまとめて述べてみたく思う。


私が異国の地での永住ではなく、日本への帰国をいずれ来たるべきものとして、つまり「mustなもの」として考え始めた最大の理由は「異邦人として生き続けることへの疑問」を自分の内で抑えきれなくなったからである。

この「疑問」とは、「必然性の不在」「ルーツの自覚」「2級市民の身分」、そして「逃避の感覚」の4つの要素から成る。

これらは独立したものではなく、それぞれが深く通底しているが、切り分けてそれぞれ記していく。


最初の「必然性の不在」であるが、煎じ詰めれば私が「この国(=日本以外の国ならどこでも)」に住み続ける理由は無いのである。

こちらで「日本人が外地に身を置き続ける理由は畢竟『パートナーシップ』か『仕事』かのどちらしかない」と書いたが、これはすなわち、これら以外の理由は「必然性に欠ける」という主意である。

私のような、日本において、日本人の親から生まれ、日本人に囲まれて成長し、日本で高等教育をすべて受けたような日本人のどこに、外国で生涯住み続ける必然性が見い出せるであろうか。

加えて、日本では現在、何らかの経済的危機が起きているわけでも、戦争が起きているわけでもないこと、すなわち、いまだに世界レベルで見ると日本では最高水準の生活を送ることができる事情を考え含めると、「必然性」などというのは、その影すらも存在していない事が明らかであろう。

これが経済移民や難民として外国に身を移さざるを得なかった人たちと私のような日本人との違いである。

彼らには外国に住み続ける理由が、必然性があるのである。

対して私のような日本人には、外国に住み続ける必然性がないのである。

「日本と比べてA国の方が政治制度が云々、社会保障が云々、教育環境が云々、ライフスタイルが云々」という理由を挙げる日本人もあろうが、私の目にはそれらの理由は「必然」と呼ぶには足らない、まったく以って浮ついた、増上慢の戯事としか映らない。


2つ目は「ルーツの自覚」である。

定性的な表現となるが、これはすなわち私自身の年齢からきたものであろう。

時が過ぎるということは、わたしの年齢もまた一つ、また一つと積み重なっていくということである。

その中で、私自身の肌感覚に合うもの、合わぬものという理が徐々に明らかになってくる。

人間は何か新奇の物事に邂逅した時、ある決まったステップを踏んでいく。

つまり「新奇のものを拒絶するステップ」「新奇のものを受け入れるステップ」「新奇のものを、自分の固有のものよりも優れていると見なして崇め奉るステップ」、そして最後に「新奇のものと固有のもの、2つを天秤にかけて選ぶステップ」である。

外国に移り住み、もしくは移り住む前から、その国の物事に胸ときめかせ、夢を投射し、自国のものよりも優れていると陶酔した経験は、特に欧米諸国に住んだことのある日本人ならば、多かれ少なかれ誰もが覚えのあることであろう。

こちらでも書いたが、私自身は外国生活が今では通算7年ほどに垂んとし、「新奇のものを、自分の固有のものよりも優れているとして崇め奉るステップ」は遥か昔に過ぎ去り、そして「新奇のものと固有のもの、2つを天秤にかけて選ぶステップ」をも経験し、最終的にわたしは「自分固有のもの」を選び取った、ということである。

「自分固有のもの」とは「日本」と呼ばれるものである。


外国に移り住み、自分とは姿形も違う人間に囲まれ、彼らの価値観の中で生きる経験は、楽しく刺激的である。

様々な差異が、ストレスではなく、喜びを与えてくれる時がある。

しかし一定の時が過ぎると徐々に気がつく。

「喜び」はすでに磨耗し、今では「ストレス」の方が多いことに。

もしくは、その「ストレス」に対して1ミリでも力を使うことを徒労だと感じることに。

つまり、残された人生の自分の貴重な力は、そのような瑣末な「ストレス」への対処ではない事柄に使うべきなのではなかろうか、という理解に至るのである。

そしてそのストレスが最小化されている場所とは、「自分固有のもの」が生まれ育った場所、すなわち私の場合は「日本」である。

つまり己の「ルーツの自覚」であり、私も長い間回りに回って「自分の出発点」をようやく発見したのである。


3つ目に「2級市民の身分」であるが、これは文字通りのことである。

日本人が日本以外の国で生き続ける場合、どこの国においても自国の人間が優先されるのが原則であるため、一段低く扱われることは避けられない。

これはどこの国の人間にとっても、「外国人」として生きる以上は避けられないことである。

しかし、今後の自分の身の振り方を考えた時、これから将来に渡って、そのような「2級市民」として扱われることを私が甘受できるかどうかを疑問に思うのである。いや、答えはすでに明らかで、「否」である。

前述したことと重複するが、自分の母国に政治的、経済的な問題が無い場合において、なぜわざわざ外地で「2級市民」としての地位に甘んじて居られることができようか。

私はこのようなことを長年考えてはいたが、私の中でこの考を決定的なものにしたのは、ある日目にした些細な光景である。

その日、私は、アジア人を目にすることは稀なある国の首都を走るバスの中にいた。車内は空いており、空席が目立ったが、気がつくと私から2メートル程の場所に、アジア系の老夫婦がいた。

私はふと彼らの身の上を考えた。

彼らはどう見ても観光客ではない。この国には数十年前に政治的な理由によりアジアから逃れてきた移民コミュニティーがあるので、おそらくそこに関係がある人たちであろう。

この国にすでに何十年と住み、ローカルの言語を話し、そして文化にも完全に適応しているという事は一見して明白であった。ただ一点、その外見を除いては。

彼らはその外見のために、すなわち「アジア系の外見」のために、白人が多数を占めるこの国のあらゆる場面で、現地住民から種々の好奇の目に晒されてきたことは、簡単に推測できた。なぜならそれは、彼らと同じ「アジア系の外見」を持つ私自身が日々経験していることであったからだ。

「好奇の目」とはいっても、それは大半がニュートラルなもので、好悪のどちらでもないものある。あってもせいぜい「好」の方で、「悪」が上回ることはない。「悪」が上回っていた場合、つまり日々差別的取り扱いを受けている場合には、その国に住み続けることがないであろうことは明らかである。

私が彼らを見て、そして彼らの生活について貧しい想像力を逞しゅうしてすぐに思い至った事は、自分がそのような好奇の目にこれから死ぬまでの間晒し続けられることは耐えられないということであった。

私には、そのようなピエロの人生を歩み続けることが価値あることだとも思えなければ、晒し者としての自意識を抹消できるほどの図太さを持ちあわせていないことも明らかであった。


そして最後の「逃避の感覚」である。

これは、ここまで述べてきた3つの要素よりも大きな比重を占めているものであり、それだけに私を長年悩ませている感覚である。

「逃避の感覚」とは、換言すると「自分の本来の課題、人生、すなわち運命に向き合う場所は、自分の母国である」という認識を私は拭い切れないのである。

これはすでに述べた事柄とも繋がってくるが、異邦人は良くも悪くもその国の社会の一員として公平には扱われない。

その社会のメンバーよりも良く扱われるか、もしくはより悪く扱われるかの2つしかなく、「平等に扱われる」という中庸は存在しないのである。

異邦人には、下駄を履かせられるか、足蹴にされるかの2つしか選択肢はなく、私にはそのようなピエロの人生を生き続けることができないことは明白であった。

私はこれまで外国にて、幸運にも私の国籍を理由に悪く扱われたことはない。むしろ良く扱われたことしかないかもしれない。しかし、そのような「うれしがらせ」「甘えがらせ」に満ち満ちた環境を自分自身の努力によって得た功績だと誤解するほど自惚れたこともない。

私にとっては、日本という場所がこの世界で唯一、自分と最も近しい前提条件を共有する人々によって構成された環境であって、自分自身の運命に対して、あらゆる余計な装飾物を取り払って直面できる場所なのである。

そして、そのような運命と直面する場所にいないということが、「本来いるべきところにいない」、すなわち「自分の運命から逃避している」という感覚をもたらすのであり、それが長年私の自尊心の傷となっている。


「外国に住む」という経験は、私の人生を測りきれぬほど豊かにした。同時に、私の人生を底知れぬほど困難なものにした。

しかし、どのような生を生きても煩悶は尽きないのであり、私が胸の内で抱えている数多くの矛盾は、当然引き受けるべきものとして私自身が引き受け、そして解決をしていかなければならない。

そしてその矛盾の、最も効果的にして最終解決だと思える方法が、私には「日本への帰国」しか思い浮かばないのである。