Sari/去り

27/February/2018 in Tokyo

一度去った場所にはもう戻れないし、戻るべきでもない、というお話。


数年前、イギリス留学を終えて日本に戻った私は、ロンドンへ再び戻ることを寝ても覚めても夢見ていました。

ロンドンに再び長期滞在する手段は限られていたので、現実のロンドンに戻るというよりかは、過去に戻りたかっただけなのかもしれません。

思い出は時とともに美化されて、良い記憶だけが残っていくものなので。

結局私は9ヶ月間ほど日本にいた後にアムステルダムに移り、それから1年ほど経ったある日、ロンドンに行こうと突然思い立って、ロンドン行きのチケットを買いました。

アムステルダムから1時間もしないうちに、ロンドン北部のStansted空港に到着し、そこからバスに乗ってロンドン市内に向かっている時は、「ああ、ようやくあんなにも夢見たロンドンにまた再び来ることができた」と感慨にふけっていました。

数年前の自分が叶えられなかった「夢」を、少し経験を重ねたいまの自分が叶えてあげているような感覚でした。

そんな風に期待に胸膨らませロンドン市内へと向かったのですが、到着して4時間ほど経つと、何か言いようのない気分に襲われ始めました。

一言で言うと、退屈。

absolute boredom。

絶対的な退屈。

昔よく行っていた、チャイナ・タウンにある「最悪の接客」で名高い定食屋Wang Keiで「pork chop & Aubergine on Rice 」「Cold Crispy Belly Pork & Roasted Duck on Hot Rice」を食べるとか、Waterloo Bridgeからシティの眺望を楽しむとか、忘れられない思い出があるWaterstones Piccadilly横のCostaへ行くとか、ロンドンへ来る前に楽しみにしていたことは予想以上の速さで済んでしまいました。

それが終わると、初日の夕方にしてすることがもう全くないことに気がつきました。

自分がいない2年ほどの間に確かにロンドンは変わっていました。

当時工事中だった駅は完成していたり、新しいビルが建っていたり。

でもそれらは全体から見ると枝葉の事柄で、基本的には大同小異という感じでした。

特に新鮮な発見も驚きもなくて、「ここを曲がればこういう景色が広がってる」とか「ここに行けばこういうものがある」といったように、すべてが予想できてしまっていました。

ロンドンに住んでいた期間は計2.5年ほどなので、そんな短い期間でロンドンのすべてを知ったと思うのは非常に思い上がった態度ではあるのですが、少なくとも再訪した私は「自分はこの街を知りすぎてるから、発見も、新鮮な驚きもないんだ」と感じていました。

そして次に思ったのは、一度去った場所にはもう戻れないということ。

もし私が、例えば仕事のように、なんらかの「しなければならないこと」があってロンドンに来ていたならば話はまったく違ったと思いますが、実際には、私のロンドン訪問の理由は単なる観光。

絶対しなければならないことがあったわけではありません。

行ってもいいし、行かなくてもいいという、私の自由意志に完璧に委ねられたもの。

いま振り返ってみると「することがない → 去った場所には戻れない」という考え方には論理の飛躍があるようにも感じますが、ただ「楽しかった」という記憶だけを頼りに、昔いた場所に戻ってくるのは非常にリスキーだと強く感じました。

楽しかった思い出を頼りに昔いた場所に戻ってくる時、心で一番期待していることは、新しい何かを発見するというよりかは、その楽しかった記憶をなぞることになるわけですが、9割方その試みは挫折に終わると思います。

時間の流れとともに、当時自分の周りにいた人たちの人生にも様々なことが起こり、それらは彼らを変え、そしてそれは街も同じで、一見同じに見えても、どこかがすでに変わってしまっているのです。

そして何より自分自身が変わってしまっているので、過去と同じことは絶対に起きません。

つまり思い出は繰り返せない。

思い出をなぞるという考え方自体、意識の焦点が「過去」に向かってしまっているので、自分が今いる「現在」や目の前にひろがる「未来」といったものを、どこか蔑ろにしてしまっているのかもしれません。

「過去」の楽しかった思い出が再現されることを期待してやってきたけど、実際には果たされず、だからと言っていまさら「現在」にも「未来」にもフォーカスを合わせられず、過去の輝かしい記憶とさえない現実のズレばかり目につく......という状態。

こういうことって、自分以外の人にも起きてることなんだと思います。

「留学生時代、すごい楽しかったから、母国で大学を卒業してまた再びやってきたけど、なぜかそこまで楽しくない」という人に、ヨーロッパでも日本でも会ったことがあります。

記憶をなぞることに似たリスクは、しばらく会ってなかった人にまた再び会う時にもあると思います。

また同じ人に会うということは、少なくとも前回その人と会った時に楽しい時間を過ごせたからだと思いますが、それが楽しければ楽しいほど、そして再会までの時間があいていればいるほど、「期待しすぎないこと」をお互い心がける必要があります。

楽しい時間を過ごせた人とは、また再び楽しい時間を過ごせると期待してしまいますし、またそれが遠い昔であるほど、その記憶は美化されていると思います。

でも時間は常に流れているので、同じ事柄が再び繰り返されることはなく、記憶が同じように再現されることもありません。

なので大切なことは、過去の「楽しさ」の繰り返しや再現を期待することではなくて、新しい「楽しさ」を作り上げようとすること。

過去の記憶の膨大な集積が、私たちのアイデンティティーを構成するものなので、私たちの意識を過去に引っ張る力というものは強いですが、それに従ったままでいると、良くて想定の範囲内、往々にして想定「以下」のことしか起こりません。

過去の呪縛の力を振り切って、現在と未来に焦点を合わせること。

胸に抱いていた期待は果たされませんでしたが、「去った場所には戻れない。否、戻るべきではない」という大事なことに気付けた、私にとってはとても意義深いロンドン旅行でした。